これがないと仏教じゃないんです。1/3
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/eb/f095ce4ec7db7dc73b4de6d05a2648cb.jpg)
![](/images/clear.gif)
あまたある、仏教の教え。
その中で「これを外したら仏教ではない」というのが三つあります。
諸行無常(しょぎょうむじょう)
諸法無我(しょほうむが)
涅槃寂静(ねはんじゃじょう)
これを称して「三宝印」(さんぼういん)と言います。
もう一つ「一切皆苦」(いっさいかいく)を加えて「四法印」(しほういん)という場合もあります。
さて、今日はHNごんべいどうさんのお嬢さんの質問に答えて、「涅槃寂静」から。
これは〔煩悩を吹き消した心の状態(ニルヴァーナ)は静寂そのものである〕ということ。----つまり、「悟りの境地に達しても心おだやかでないのだ」と言ったら「仏教」ではあーりません、ということです。
狭義には「生死の苦悩を滅して、心が安らかになること」でもあります。
そんじゃ、明日は「諸行無常」(しょぎょうむじょう)で、いくジョウ。わははは。
※写真は万国共通の「仏教の旗」でござーい。
その中で「これを外したら仏教ではない」というのが三つあります。
諸行無常(しょぎょうむじょう)
諸法無我(しょほうむが)
涅槃寂静(ねはんじゃじょう)
これを称して「三宝印」(さんぼういん)と言います。
もう一つ「一切皆苦」(いっさいかいく)を加えて「四法印」(しほういん)という場合もあります。
さて、今日はHNごんべいどうさんのお嬢さんの質問に答えて、「涅槃寂静」から。
これは〔煩悩を吹き消した心の状態(ニルヴァーナ)は静寂そのものである〕ということ。----つまり、「悟りの境地に達しても心おだやかでないのだ」と言ったら「仏教」ではあーりません、ということです。
狭義には「生死の苦悩を滅して、心が安らかになること」でもあります。
そんじゃ、明日は「諸行無常」(しょぎょうむじょう)で、いくジョウ。わははは。
※写真は万国共通の「仏教の旗」でござーい。
![](/images/clear.gif)
![](/images/clear.gif)
いつまでも修行して修行して…心穏やかになったら涅槃。だとしたら、この身が仏と実感して心安らかになるのも涅槃なんでしょうか。
私は三法印について忘れがちです。仏教徒として覚えていたいものです
キリスト教では十字架、仏教だとシンボルは何でしょうか。僕は卍だと思います
南無さん>卍か……。仏教徒にとっては、袈裟だと思います。他の人から見たらは別問題としてもね。うははは。
ごんべいどうさん>あははは。最小の数字の単位はなんだったっけ?きっと南無さんが答えてくれます(たのむぞ、タケル君!)。古代インドでは、大も小もぶったまげるような単位まで考えています。