切なる思いの移籍者

実家のご詠歌へ行ったら「見学の方が一人います。前にご詠歌をやっていたそうです」と言われた。嫌な予感がした。移籍組の人は前のところが嫌になって辞めることが多い。で、私に、前にやっていた所の先生がいかにひどいかを言う。そんなことを言われて喜ぶほど、私は単純ではない。「この人は、私が嫌になったら、また別の所へ行って、私の悪口を言うのだな」と思うからだ。

見学のWさんに「前はどこでご詠歌をやっていたのですか」と聞いた。答えを聞いて私は驚いた。私の知っているお寺だ。

しかし、そのお寺があるのは福島県双葉郡富岡町である。今もこれからも、そこに人はいない。町に住んでいる人もいない。もう帰ることができない原発避難地区だからである。Wさんはご主人と江戸川区に避難してきた。ご主人は体調を崩されて昨年末に亡くなった。ご主人が入院していた病院の裏のお寺が私の実家である。菊まつりなどで「このお寺でもご詠歌をやっているのか。そのうちにもう一度やってみようと思っていた」と言う。地元で根を張っているからこそ、こうした受け入れができるのだと思った。

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コメント
 
 
 
本当の御詠歌? (とある遍路)
2013-04-26 21:40:33
 お四国の寺を巡っていて、いつも気になるのが御詠歌です。
 同じお寺でも、漢字や平仮名だったり、口語であったり文語であったり、参考書や案内書によって異なる場合があります。
 私が勝手に考えれば、そのお寺でお参りし、その人の、その時の気持ちで唱えたからでしょう。
 だからこそ、御詠歌に想いを込め、仏様にお任せしていると思うのですが・・・。
 この人の御詠歌、きっと、「私は迷っている」ということを御詠歌に込めたいのでしょうかねぇ?
 
 
 
救いをもとめて (和尚)
2013-05-07 21:34:23
とある遍路さん>ご詠歌講は、ある意味で全国チェーン店みたいなものなのだと、思いました。
 
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