風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

福島原発処理水の海洋放出

2023-08-27 15:16:03 | 日々の生活

 ようやく廃炉への一歩が踏み出された。

 私は毎日、紙ベースの日経新聞を読んでいるので、私の世界観、とりわけ世の中の出来事の重みづけは、日経の記事としての取り上げ方の軽重に大いに影響を受け、多少なりとも歪んでいると自覚している(笑)。その目で週末、ネットのニュース・サイトを見ると、大変なことになっていることに今さらながら驚く(だからと言って、記事の多さや特定国の声の大きさが客観的な世界情勢を表すものとは限らないのは言うまでもない)。さながら“狂騒曲”だ。

 中国や、韓国野党や市民運動家、世界の環境活動家といった、いつもお騒がせな方々が政治問題化しているのだ。

 科学的な理解は進んで来ているように見受けられる。環境保護活動団体グリーンピースは、より優れた処理技術が発明されるまで、水をタンクに貯留するよう求めているそうだ。彼らのように心に余裕がある人たち、私のように日々の暮らしに汲々とする庶民と違って、何の憂いもなく将来世代や未来の地球に完全なる重きを置いて論じるほど懐が深い人たちは、先送りできるかも知れない(現実問題として自らに迫らない限りは、などと言ってしまうと険があるが)。しかし理想は理想として尊重しつつ、現実に対処しなければならない人たち(政治家を筆頭に)は、現在の科学に依拠するほかない。福島原発のメルトダウンで問題となったのは、科学そのものではなく、人手を介することで生まれた人災だった。

 韓国野党「共に民主党」の李在明代表は「核汚染水の放出は『第2の太平洋戦争』として記録されるだろう」などと日本批判のトーンを強め、尹政権を「環境災害のもう一方の主犯だ」と攻撃したそうだ(東京新聞)。つまりは毎度の政権批判を目的とする日本批判である。

 上海の国際漁業博覧会で行われたマグロの解体ショーでは、急遽、日本産からオーストラリア産マグロに切り替えられたそうだ。中国政府が日本産水産物の全面禁輸を発表した直後にもかかわらず、責任者は「代替品を確保している。問題ない」と余裕を見せた(東京新聞)というが、「日本産のほうが大トロが多く、脂が乗っておいしい。一部顧客から注文はあるが、手に入らない」と明かしたそうだ(同)。

 海外のシンクタンクの研究者は「今回の出来事は、日中関係悪化の原因というよりも、日中関係悪化による症状だ」と述べたそうだ(BBC)。確かに、24日の当日、福島県や周辺地域の水産物に課していた禁輸措置を日本全土に拡大したのに続き、日本産水産物の加工や調理、販売を禁じる措置を打ち出し、更に官製デモを思わせるような、中国発(国番号86-)の抗議電話が、海洋放出とは無関係な日本の個人や団体に対して相次いでいる事態は、嫌がらせにしても度が過ぎる。

 しかし、最近のように日中関係が悪化していない40年前にも、政治問題化し外交カードを手にしようとする、似たような動きは起きていた。言わずと知れた第一次教科書問題(1982年)で、私は子供心に、「えげつないなあ」と、いや、これは中国や韓国だけではなく、日本の大手メディアにも向けた不信感として刻み込まれたものだった(苦笑)。日本史の教科書検定において、中国華北に対する“侵略”から“進出”へと書き改めさせたと、朝日新聞をはじめとする大手紙が書き立て、中国や韓国まで介入して外交問題化したもので、後に、渡部昇一氏によってメディアの誤報だったことが明らかになったにもかかわらず、教科書を記述する際、近隣諸国に配慮するという旨の所謂「近隣諸国条項」が生まれた。明らかな内政干渉だが、こうした日本発の自業自得とも言える外交事案は、後に靖国参拝を巡っても起きた。

 世界は今、西の米国と権威主義の中国を代表とする体制間競争の真っ只中にある。その中国は、コロナ禍でのロックダウン以来、人民の体制批判が燻る中、長年の無理がたたって経済に変調を来しており、世界中のエコノミストが注視する。中国共産党としては、人民の注意を外に向け、華夷秩序の伝統に則って、自らの道徳的優位を、環境保護や人民の安全第一を掲げる中国と、世界の環境汚染の日本を対比することによって、アピールしたい衝動に駆られていることだろう。西を代表するアメリカ社会の分断や、西に属しながらも安定した日本の社会の分断は、明らかに中国にとって利益であり、自らの権威主義体制の相対的な優位に繋がると信じていることだろう。中国がここぞとばかりに仕掛けているのは戦争、具体的には情報戦であり世論戦である。日本人は戦争などもうコリゴリだと思っているが、中国共産党は自らの進退を賭けた“闘争”だと認識しているに違いない。

 中国の税関当局は、日本産水産物の禁輸措置を発表した際、「中国政府は人民至上を一貫して堅持しており、必要なあらゆる措置を取り食品の安全と人々の健康を守る」(新華社)と言い放ったそうで、さすが人民の命を守るため(と称して、その実、共産党のメンツを守るために)ロックダウンしただけのことはある。そういうことであれば、尖閣海域にも中国の漁船を近づけないことだろう。その言行一致に大いに期待したいものだ。

 軽口はこれくらいにして・・・日本人は重い十字架を背負ってしまった。福島原発の敷地内にところ狭しと並ぶ巨大な貯蔵タンクは1000基を超え、放出に要する期間は実に30年と想定される。少子高齢化の日本には耐えがたい負担である。石油ショックに伴う狂乱物価やトイレットペーパーに殺到した騒動を記憶する者として、一連の原発絡みの問題を東京電力や経産省だけの責任に帰せるわけには行かないし(彼らの監督責任が重いのは事実だが)、資源小国日本のエネルギー安全保障の観点から今のところは原発不要とも言い切れない。福島原発事故の際、週刊文春が一度報じて沙汰止みとなったのはフェイクだったのか、いや程度の差は別にして相当の放射線を、1960~70年代に行われた中国の原爆実験による放射線まみれの黄砂飛来とともに浴びていた関西出身者として、今さら、かの国を責めるつもりはないし、今、ピンピンしているからと言って放射線被害を軽視するつもりもない。

 私たちに出来ることは、これまで以上に魚を食して漁業関係者を大いに盛り立てることだろう。そして、今まさに行われている“闘争”(戦争とは言わないにしても)に負けないために大切なことは、IAEAやWHOや主要国をはじめとする理性ある国際社会とともに歩むことであろう。何よりナチス・ドイツのゲッベルスばりに「嘘も100回言えば本当になる」(正確に直訳すると『もしあなたが十分に大きな嘘を頻繁に繰り返せば、人々は最後にはその嘘を信じるだろう』ということらしいが)と言わんばかりのかの国によって着せられた環境汚染国の汚名を晴らすために、環境への影響がないことを透明性を以て公表し、不幸にも事故を起こしたにしても、なお安全・安心な日本の面目躍如としたいものだ。

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