風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

中国・西安の旅

2015-12-08 01:16:05 | 永遠の旅人
 タイトルに西安と言っても、出張で訪れたのは、残念ながら城壁の外の開発団地で、味も素っ気もなかった。そのため、土曜日朝、出発前の僅かの時間を縫って訪れた兵馬俑の印象を書く。
 あの20世紀最大の発見の一つと言われる兵馬俑である。中国4000年の歴史において、史上初めて天下統一し、封建制を否定して導入した郡県制による中央集権体制は、以後2000年近くも採用され続けるなど、その後の中国の歴史に多大なる影響を与え、偉大ながらも、焚書坑儒に見られるように成り上がり者で歴史や伝統でさえ何でも思い通りにできると考える暴君だったという評判の、あの始皇帝の墓を守る副葬品の数々である。唐の詩人・李白は「国風」四十八で、統一を称えながらも、始皇帝の行いを批判したらしい。
 そんな伝説の始皇帝陵と兵馬俑の存在は、史記や漢書など、古代中国の数々の歴史書に記されていたらしいが(Wikipedia)、動乱により所在地はおろかその存在までも疑問視される状態だったらしい(同)。しかしそれも、1974年3月29日、干ばつに窮した地元農民(楊志発さん)が井戸を掘っていて偶然発見するまでのことである。考古学界は驚天動地だったことだろう。その後、1987年には秦の始皇帝陵の一部として世界遺産(文化遺産)登録され、当の楊さんは、兵馬俑を展示する博物館の名誉副館長となり、写真集にサインをして販売するなど悠々自適の生活だったらしい(今は老齢で引退してしまったらしいが)。
 前置きが長くなったが、兵馬俑は見る者を圧倒する。全体でひとつの軍団を写したもので、将軍、歩兵、騎兵など、軍団を構成するさまざまな役割の将兵が配置された3つの俑坑の規模は2万平方メートルを超え、既に1000体の発掘と修復が終わっているが、今なお発掘・修復中で、総計8,000点に及ぶ俑(=人形と書いてヒトガタと読む、人間の代わりに埋葬された陶製の像)の全ての修復を完了するまで後200年はかかろうかという、サクラダファミリアのような壮大さである。
 その造形の緻密さにも驚かされる。当時、実在した兵士をモデルに造られたと考えられる俑には、どれ一つとして同じ顔をしたものはいないし、手の皺や靴の裏の滑り止めまで、実に緻密に刻まれているらしい。漢書に、秦の始皇帝陵が項羽によって破壊されたと記されている通り、叩き壊され焼かれた跡が発見されたそうだ。さらに出土した矛、戟、刀や大量の弩、矢じりには、クロムメッキ処理が施されていることも判明したらしい。クロムメッキと言えば1937年にドイツで発明された近代のメッキ技術のはずだが、2200年前の中国人はこの技術を知っていたことになる。その後の漢の時代に作られた銅剣は、皆ボロボロに腐食していることから、この技術は継承されなかったことが明らかであり、それもまた謎めく話である。
 それにしても始皇帝は、なぜ膨大な兵馬俑や銅車馬を陵墓の周囲に埋めさせたのか。しかも即位した13歳から死ぬ49歳まで、36年もの歳月をかけるという、途方もない権力を見せつけるかのように労力をかけてのことである。近年の調査によると、来世に旅立つ始皇帝のために造成されたというこの遺跡は、始皇帝の身を守る軍隊だけでなく、宮殿のレプリカや文官や芸人等の俑まで発見されており、生前の始皇帝の生活そのものを来世に持って行こうとしたのではないか・・・という見方が有力らしい。死してなお皇帝として天下統一する野望が垣間見えるのである。恐ろしい執念ではないか。
 因みに兵馬俑坑の西約1.5キロメートルにある始皇帝を埋葬した陵墓の発掘作業は行われておらず、比較的完全な状態で保存されているらしい(Wikipedia)。考古学者が墓の位置を特定して探針を用いた調査を行ったところ、自然界よりも濃度が約100倍も高い“水銀”が発見され、伝説扱いされていた建築が事実だったことが確認されたらしい(Wikipedia)。古代においては、辰砂(主成分は硫化水銀)などの水銀化合物は、その特性や外見から不死の薬として珍重され、とりわけ中国の皇帝に愛用され、不老不死の薬「仙丹」の原料と信じられていたという(錬丹術)。それが日本にも伝わり、飛鳥時代の女帝・持統天皇も、若さと美しさを保つために飲んでいたと言われるが、これは現代の私たちから見れば毒を飲んでいるに等しく、危険極まりない。始皇帝を始めとして多くの権力者が中毒で命を落としたと言われる所以である。どうやら、水銀が毒として認知されるようになったのは、中世以降らしい。
 いずれにしても、この壮大なる兵馬俑の広さは、実は始皇帝陵墓の僅かに0.00035%(どこかの国の金利かと見紛うが)というから、これまた驚きである。いやはや、中国の皇帝の権力の絶大なること、私たち日本人の想像を絶するものがある。現代でも中国共産党の中央幹部が海外に逃す資金は数千億円という、日本人の我々からすると途方もない規模に達するのも、その名残りであろうか。
 戦前の日本で語り継がれた中国の残酷さは、その権力の絶大なることと裏腹のように見える。
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