エドワード・ルトワック氏の近著「戦争にチャンスを与えよ」を読んだ。20年ほど前の論文を基にしつつ、最近の論説も加えて、とても刺激的な内容だ。
氏自身による総括的な言い方を引用すると、「論文・・・で主張したのは、『戦争には目的がある。その目的は平和をもたらすことだ。人間は人間であるがゆえに、平和をもたらすには、戦争による喪失や疲弊が必要になる』ということだ。外部の介入によって、この自然なプロセスを途中で止めてしまえば、平和は決して訪れなくなってしまう」というのである。そこで導かれる教訓は、「紛争に介入してはならない」ということだと言う。勿論、全ての介入を否定するわけではなく、自らの外交力によって和平合意を実現する覚悟があればよいが、人道主義の美名のもとに(厳密な意味で)無責任に介入することを厳に戒める。難民問題も同様だと言う。例として、ユーゴスラビアのデイトン合意や、パレスチナの難民問題や、最近ではイラク戦争を取り上げる。リビアのカダフィ大佐を排除したことも、「完全なる『法と秩序』を提供しつつ、再建を進め、いざとなれば、そこに50年間でも駐留する覚悟があるなら、介入は正当化できる」と言って、アメリカ(当時のヒラリー・クリントン国務長官)の政策の甘さを批判する。
逆に、パレスチナ難民のようなメカニズムが第二次大戦直後の欧州に存在していたら、「パリやミラノやローマのような都市はなく、代わりに巨大な難民キャンプがあちこちに設置されていただろう」と言う。日米戦争が1944年の時点で外部の介入によって停戦がなされていたら、「今頃、日本には『戦時体制』が残り、あらゆる物資が欠如した状態で、東京は木造建築だらけのまま残り、大日本帝国とアメリカの停戦ラインは、フィリピンの間に引かれ、ビルマには飛び地が残り、朝鮮半島は半分が日本支配下のままで、その中間の非武装地帯の反対側に米英露の軍隊が駐留している、というような状態になっていたかも知れない」と言う。なんとも逆説的で、思わず考え込んでしまう。「朝鮮半島で起ったのは、まさにこのような事態」だと言う。「戦争が凍結されてしまえば、平和は決して訪れない」のだと。
パレスチナは日本人には遠いが、朝鮮戦争が停戦状態のまま今もなお平和条約が締結されずに不安定極まりない朝鮮半島情勢は身近な脅威として認識できる。そう、朝鮮半島はもはやアジアの火薬庫なのだ。
ルトワック氏は、同書の別の章の中で、北朝鮮の軍事開発力は極めて危険な域に達しており、真剣に対処する必要があると主張する。一つは「降伏」だ。北朝鮮が望むものを聞き入れ、経済制裁を全て解除し、金一族を讃える博物館を表参道に建て、北朝鮮に最も美しい大使館を建てさせ、代わりに500キロ以上の射程をもつミサイルの開発を止めて貰えばいいと言う(この500キロはMTCRで規制対象になっているもので、朝鮮半島の非武装地帯から下関までの距離)。二つ目は「先制攻撃」だ。北朝鮮の核関連施設を特定し、全て破壊するのである。空からだけでなく、地上からの支援も必要で、地上に要員を配置してミサイルをレーザーなどで誘導しなければならない。但し北朝鮮のミサイルは侵入の警告があれば即座に発射されるシステム(LOW)になっているかも知れないので、極めてリスキーな作戦になる。三つ目は「抑止」だ。日本は1000キロの射程の弾道ミサイルを持ち、核弾頭を搭載すればいい。最後は「防衛」だ。残念ながらミサイル防衛システムの精度は十分ではない。現在、世界で最も精度が高いイスラエルの「アイアン・ドーム」は、当初の迎撃性能80%のところ、実戦経験を経て95%まで引き上げたものらしい。日本でもミサイル防衛システムの精度を上げるためには、イスラエルと同様、敵から何発もミサイルを撃ち込まれる経験が必要だという。
いずれも難しいことは一目瞭然である。その結果、ルトワック氏に言わせれば、「まあ大丈夫だろう(it will be all right)」と思って何もして来なかったのがこのザマだ(と、実際にはそこまでは言っていないが・・・)と言い放つ。日本や韓国だけではなく、中国もロシアもアメリカも、何もしていない、と手厳しい。
今、私たちは、「まあ大丈夫だろう」という無為無策を脱して、こののっぴきならない現実をディールによって回避しようとする米・中・朝のゲームを、リアルタイムで観察しているのである。
折しも、北朝鮮は、4月5日と16日に続き、29日の朝にも、中距離弾道ミサイル(と思われる)を発射し、いずれも失敗に終わったと分析された。技術力が足りないという人もいるが、そうではなく、わざと失敗する中で何かを掴んでいるのではないかと見る人もいる。東京メトロは、北朝鮮によるミサイル発射を受けた措置として初めて、当日午前6時7分から10分間、全線で一時運転を見合わせた。秋田県では、自治体関係者の情報交換が密だと聞く。北朝鮮は、まさか敵を増やさないだろう(だから日本を攻撃することはないだろう)と楽観する声には、もはや聴く耳をもたれないのではないか。在日米軍は日本の安全保障を根幹で支える頼もしい存在で、日本人に安心を与えてきたはずだが、在日米軍があるからこそ攻撃を受けやすいとは、よもや思わなかった。まさにルトワック氏の言う「パラドキシカル・ロジック」そのものではないか。日本人もそろそろ心理的な戦後レジームを脱して、世界の中で戦略的に対処していく必要があることを、自戒を込めて痛感する(因みに、産経抄によると安倍総理は既に5度、ルトワック氏と会って意見交換しているらしいが、ルトワック氏は安倍総理のことを「まれに見る戦略家だ」と言っている)。
氏自身による総括的な言い方を引用すると、「論文・・・で主張したのは、『戦争には目的がある。その目的は平和をもたらすことだ。人間は人間であるがゆえに、平和をもたらすには、戦争による喪失や疲弊が必要になる』ということだ。外部の介入によって、この自然なプロセスを途中で止めてしまえば、平和は決して訪れなくなってしまう」というのである。そこで導かれる教訓は、「紛争に介入してはならない」ということだと言う。勿論、全ての介入を否定するわけではなく、自らの外交力によって和平合意を実現する覚悟があればよいが、人道主義の美名のもとに(厳密な意味で)無責任に介入することを厳に戒める。難民問題も同様だと言う。例として、ユーゴスラビアのデイトン合意や、パレスチナの難民問題や、最近ではイラク戦争を取り上げる。リビアのカダフィ大佐を排除したことも、「完全なる『法と秩序』を提供しつつ、再建を進め、いざとなれば、そこに50年間でも駐留する覚悟があるなら、介入は正当化できる」と言って、アメリカ(当時のヒラリー・クリントン国務長官)の政策の甘さを批判する。
逆に、パレスチナ難民のようなメカニズムが第二次大戦直後の欧州に存在していたら、「パリやミラノやローマのような都市はなく、代わりに巨大な難民キャンプがあちこちに設置されていただろう」と言う。日米戦争が1944年の時点で外部の介入によって停戦がなされていたら、「今頃、日本には『戦時体制』が残り、あらゆる物資が欠如した状態で、東京は木造建築だらけのまま残り、大日本帝国とアメリカの停戦ラインは、フィリピンの間に引かれ、ビルマには飛び地が残り、朝鮮半島は半分が日本支配下のままで、その中間の非武装地帯の反対側に米英露の軍隊が駐留している、というような状態になっていたかも知れない」と言う。なんとも逆説的で、思わず考え込んでしまう。「朝鮮半島で起ったのは、まさにこのような事態」だと言う。「戦争が凍結されてしまえば、平和は決して訪れない」のだと。
パレスチナは日本人には遠いが、朝鮮戦争が停戦状態のまま今もなお平和条約が締結されずに不安定極まりない朝鮮半島情勢は身近な脅威として認識できる。そう、朝鮮半島はもはやアジアの火薬庫なのだ。
ルトワック氏は、同書の別の章の中で、北朝鮮の軍事開発力は極めて危険な域に達しており、真剣に対処する必要があると主張する。一つは「降伏」だ。北朝鮮が望むものを聞き入れ、経済制裁を全て解除し、金一族を讃える博物館を表参道に建て、北朝鮮に最も美しい大使館を建てさせ、代わりに500キロ以上の射程をもつミサイルの開発を止めて貰えばいいと言う(この500キロはMTCRで規制対象になっているもので、朝鮮半島の非武装地帯から下関までの距離)。二つ目は「先制攻撃」だ。北朝鮮の核関連施設を特定し、全て破壊するのである。空からだけでなく、地上からの支援も必要で、地上に要員を配置してミサイルをレーザーなどで誘導しなければならない。但し北朝鮮のミサイルは侵入の警告があれば即座に発射されるシステム(LOW)になっているかも知れないので、極めてリスキーな作戦になる。三つ目は「抑止」だ。日本は1000キロの射程の弾道ミサイルを持ち、核弾頭を搭載すればいい。最後は「防衛」だ。残念ながらミサイル防衛システムの精度は十分ではない。現在、世界で最も精度が高いイスラエルの「アイアン・ドーム」は、当初の迎撃性能80%のところ、実戦経験を経て95%まで引き上げたものらしい。日本でもミサイル防衛システムの精度を上げるためには、イスラエルと同様、敵から何発もミサイルを撃ち込まれる経験が必要だという。
いずれも難しいことは一目瞭然である。その結果、ルトワック氏に言わせれば、「まあ大丈夫だろう(it will be all right)」と思って何もして来なかったのがこのザマだ(と、実際にはそこまでは言っていないが・・・)と言い放つ。日本や韓国だけではなく、中国もロシアもアメリカも、何もしていない、と手厳しい。
今、私たちは、「まあ大丈夫だろう」という無為無策を脱して、こののっぴきならない現実をディールによって回避しようとする米・中・朝のゲームを、リアルタイムで観察しているのである。
折しも、北朝鮮は、4月5日と16日に続き、29日の朝にも、中距離弾道ミサイル(と思われる)を発射し、いずれも失敗に終わったと分析された。技術力が足りないという人もいるが、そうではなく、わざと失敗する中で何かを掴んでいるのではないかと見る人もいる。東京メトロは、北朝鮮によるミサイル発射を受けた措置として初めて、当日午前6時7分から10分間、全線で一時運転を見合わせた。秋田県では、自治体関係者の情報交換が密だと聞く。北朝鮮は、まさか敵を増やさないだろう(だから日本を攻撃することはないだろう)と楽観する声には、もはや聴く耳をもたれないのではないか。在日米軍は日本の安全保障を根幹で支える頼もしい存在で、日本人に安心を与えてきたはずだが、在日米軍があるからこそ攻撃を受けやすいとは、よもや思わなかった。まさにルトワック氏の言う「パラドキシカル・ロジック」そのものではないか。日本人もそろそろ心理的な戦後レジームを脱して、世界の中で戦略的に対処していく必要があることを、自戒を込めて痛感する(因みに、産経抄によると安倍総理は既に5度、ルトワック氏と会って意見交換しているらしいが、ルトワック氏は安倍総理のことを「まれに見る戦略家だ」と言っている)。