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風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

帰郷・ペナン編(中)

2014-12-31 23:45:04 | 永遠の旅人
 ペナン二日目は、朝からQueensbay Mallに出かけました。私たちがかつて生活していた頃、日本のイオンが入るというので鳴物入りで開業したペナン島・東海岸随一の大型ショッピング・コンプレックスで、当時のまま、相変わらずの繁盛振りです。ここでの狙いはBordersというアメリカ系の書店で、小学校6年間を内外のインターナショナル・スクールやシドニーのローカル・スクールで過ごした下の子が10冊ほど英語の本を買い込むのにつき合わされました。
 午後には、Midlandsという、開業して数十年は経っていようかという、鄙びたショッピング・センターを訪れました。ここは地元民だけではなく、安い所謂オートクチュールの店があるので、海外からの駐在員の奥様方に根強い人気がありましたし、パソコンの周辺機器やパソコン用ソフト・映画・ゲームなどの海賊版DVDやCDを売る店が二十ほども軒を連ねて、観光客にも人気の隠れた買い物スポットでした。しかし当時からGurney Plazaにどんどん客を奪われて斜陽化しつつあったのですが、今では店の9割方にシャッターが下りていて、当時の勢いはおろか、もはやショッピング・センターの体をなしているとは言えません。当時から時限的にシャッターが下りて、当局の査察を逃れていたもので、私も一時間ばかり閉じ込められたことがありましたが、今はRENTの張り紙がそこかしこに見えて恒常的のようです。そんな中、海賊版DVDを扱う店が辛うじて数軒ばかり残っていたので、覗いて見ると、当時、1枚8リンギッ(240円、屋台のラーメン8食分)していたハリウッド映画DVDが、10年近く経った今、5リンギッで売られていて、過当競争の結果なのかも知れませんが、豊かになる一方のペナン社会で陰のような存在は、益々居場所が狭くなっていくようです。こうした店では、個々の商品に値札はなく、ブルーレイだと1枚いくらなどと壁に張り紙がしてあって、観光客と分かると、つり銭を言わないと呉れないところなどは、今も健在です。
 二日目の夕食は、ペナン島ジョージタウンの街のレストランで三本の指に数えられると我が家が自信を以てお勧めできる内のひとつ、イタリア料理レストランBella Italiaに行きました。驚いたことに、かつてバツー・フェリンギという島の西北のはずれの保養地の支店で呼び込みをやっていたバングラディッシュ系かミャンマー系のおじさんが、ここ本店でフロア・マネージャー然と振舞っていて、当時と変わらぬお気に入りのオーダーを入れようと、スパゲッティと言いかけるとボンゴレと答え、ピザと言いかけるとポロと答えてくれて、記憶力の良さというより今なおワン・パターンであることに、お互いに思わず破顔一笑したのでした。
 その後、土産物を買いに、Gurney Plaza地下一階のCold Storageに行きました。かつて食料品スーパーとして重宝し、毎週のように買い出しに来たもので、土産物もここで調達するのが常でした。ペナン土産としてお勧めは、COCONというブランドのマンゴー・プリン(12個で10リンギッ前後)と、cocoalandというブランドのマンゴー・グミ(5リンギッ弱)で、日本人の知人に評判が良くて、しかも経済的です。なお、近所の日本食料品店MEIJIYAがなくなって(後でネットで調べたら引っ越しただけのようですが)、日本人駐在員家族やセカンド・ライフの年配の方々はさぞ困っているかと思っていたら、Cold Storageの一角に日本食材コーナーがあって、日本の調味料や海苔やカップ麺や菓子類が所狭しと並んで、ごく普通に売られているのに驚きました。
 私たちがかつて住んでいたガーニー・ドライブ沿いには今も高層マンションの建設が続き、街は少しずつ表情を変えています。2008年の統一地方選挙の際、ペナン州では期せずして野党が勝ったため、計画されていたペナン第二ブリッジに予算がつかなくなるなど、中央の与党からイジワルされたものでしたが、第二ブリッジは、無事、開通している上、高速道路を走っていると第一・第二ブリッジ並べて渋滞何分などの表示があるため早い方を選べることが出来て、なかなか便利ではありませんか。Gurney PlazaやGurney Paragonの駐車場では、個々のパーキング・ロットにセンサーがつけられ、各フロアに何台分のオープン・スペースがあるか表示されるので、これもまた便利ではありませんか。そんなペナンの愛すべき人たちは概して人が好くて、オッケー、オッケー・ラーなどといい加減で、それはただ周囲を察することに乏しいだけなのが実態でもあるのですが、それでいて多民族社会の故か生きるために抜け目ないところも多分にあって、私たち日本人にとって油断ならないところもあるのは、日本以外の土地では当たり前なのでしょう。
 いつしか心は当時に飛んで、ひとしきり遊んで、ホテルに戻ると、ただの観光客だという現実に引き戻されるのでした。名残り惜しみつつ、ペナンを後にしたのですが、旅は、満喫するよりちょっと物足りないくらいが良いようです。
 上の写真は、歴史的建造物も取り込んで、発展を続けるペナンのショッピング・モール(Gurney Paragon)。背後に聳え立つのは高層マンション。
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帰郷・ペナン編(上)

2014-12-31 01:58:19 | 永遠の旅人
 「第二の故郷」などという言い方もするので、かつて住み慣れた土地を再訪するのを「帰郷」と称することもまた許されるでしょうか。一日早く有給休暇をとって、かつて3年暮らしたマレーシア・ペナン島のジョージタウンに家族揃って遊びに行って来ました。
 このところ子供たちの受験が続いたので、旅行や遊びなどの自粛疲れで、何をするでもない、4泊5日のちょっと豪華な旅・・・と期待したのですが大間違い。旅慣れている方はお分かりの通り、ペナンまで直行便がないため、シンガポール経由となり、シンガポールまでの往復がそれぞれ1日仕事となる上、乗継ぎフライトがうまく繋がらず、シンガポールで行き帰りにそれぞれ半日過ごすことになって、結果としてペナン滞在は僅かに丸2日間だけの慌ただしい日程です。振り返ると、ペナンを離れたのはリーマンショックのちょっと前の2008年7月のこと、かれこれ6年半振りの訪問です。発展するアジアということでの変わったところ、しかし土着文化が根強くて良くも悪くも変わらないところ、それぞれにいろいろあって、とても興味深い旅となりました。
 国際空港とは名ばかりで相変わらずしょぼいペナンの空港に降り立つと、なんとも言えないまったりとしたニオイが鼻をつきます。これは開発独裁の人工的な都市国家・シンガポールでは感じることはない、田舎の空港ならではの土地のニオイです。かつて民主化前後の台湾では香(こう)と干し肉のニオイに包まれたものでしたが、ここペナンの場合は肉や香辛料が混ざった懐かしい屋台のニオイでしょうか。このニオイに出迎えられただけで、ああ帰って来たなあ・・・とホッとした気持ちになります。
 ペナン島にしてもジョージタウンにしても、さほど大きな島でも街でもありませんが、かつて生活していたときのように車で移動することを想定し、レンタカーを借りることにしました。カウンターで予約確認のメール・コピーを差し出すと、マレー人の人の好さそうなお兄ちゃんはメールのある箇所を指さし、ここで70リンギッ(2500円位)支払えと言います。クレジットカードにチャージされる金額ばかり気になって、気が付きませんでしたが、確かにカウンターで支払えと書いてある。お兄ちゃんはその70リンギッをそそくさと自分の財布に仕舞いました。あれれ・・・なんじゃこりゃ。因みに、二日後、レンタカーを返却するとき、既に月曜日の朝11時近くになっていたにもかかわらず、カウンターには誰も見当たらなくて、隣のカウンターの人に声をかけると、いつ来るか分からないよ、という生返事。とてもレンタカー会社の社員とは思えないようないい加減な対応に、あの70リンギッはエージェントとしての彼個人の取り分だったのかも知れないと、何とも怪しげないい加減なところもまたペナンらしいと、つい合点してしまいます。
 運転し始めると、車線をふらふらはみ出すいい加減な走りや、交差点での強引な割り込み、そして突然右側から追い越しをかけるバイクに驚かされるのもまたペナンらしくて、血が騒ぎます(なお、マレーシアは植民地支配されたイギリスに倣い、日本と同じ右ハンドル)。かつてペナンに生活していた頃、蜂の子のように群がるバイクに往生し、私なりにいくつか運転原則を打ち立てたのを思い出しました。急な車線変更は要注意、急な加速・減速も要注意、日本人気質丸出しで譲っていては馬鹿を見る、の三点です。まあ、謙譲の美徳は、世界広しと言えども日本人だけに見られる資質と考えるべきでしょう。それにしても、日本車が増えたように感じたのは気のせいではないのでしょう。マレーシア建国の祖とも言うべきマハティール首相(当時)は、二十年余りの在任中、日本の高度成長を見習うルック・イースト政策を掲げ、その一つとして、国産のProtonやPeroduaなどの自動車産業を立ち上げたことで有名です。しかし、品質の悪さは否めず、それでも国産車保護のため税的優遇政策をとり続け、日本車をはじめとする外車は高嶺の花と位置づけられていました。独断と偏見を許されるならば、貧しいマレー人はバイク、ちょっと豊かになると国産車、金持ちの華人は日本車やドイツ・イタリア車を乗り回しますが、そこまで行かない華人は韓国車、といったような見えない厳然たる序列があったように思います。そんな中で日本車が増えた気がしたのは、豊かな人が増えたということか。
 ホテルにチェックインした後、早速、かつて通い慣れたショッピング・モールであるGurney Plazaに行こうとして、Gurney Paragon Mallなる大規模ショッピング・コンプレックスに辿りついて、てっきり買収されて再開発されたのかと勘違いしたのですが、そうではなく、新たに造成されたものと分かりました。それほどに偉容を誇り、アジアの中核的都市であるクアラルンプールやバンコクやジャカルタやマニラに見るような、アジア的と言うより華僑的と言うべきかも知れません、豪華絢爛な造りにあらためて目を見張り、ついにアジア的な開発独裁の波がペナン島にも押し寄せたのかと、感慨深いものがありました。値段も、ブランド物はグローバル共通かと思わせるほど、貧しいマレーシアとは思えない値付けで、驚かされました。豊かな人が増えているのは間違いありません。そして、かつて誰もが・・・つまり地元民の憧れだけでなく海外駐在員の生活必需の場として訪れていたGurney Plazaが健在だったのを知って嬉しくなったのも束の間、今やすっかり色褪せ、地元民の憩いの場に堕しているかのように見えたのが、時代の流れを感じ、ちょっと寂しくもありました。しかし、当時と変わらない、お気に入りのF.O.S.(Factory Outlet Store)や地元の百貨店Parksonがあって、安心して買い物が出来る使い勝手の良さが掛けがえのないものであったことは言うまでもありません。
 夕食は、ペナン島ジョージタウンの街のレストランで三本の指に数えられると我が家が自信を以てお勧めできる韓国料理の店Seoul Gardenに行きました(Gurney Plaza やQueensbay Mallに入っているチェーン展開している店とは異なります、念のため)。そして、当時のままにママさんに出迎えられたことに感動しました。当時、それこそ毎月二・三度は訪れて、子供たちが同じインターナショナル・スクールに通っていたご縁もあって、顔馴染みだったのですが、子供たちは成長して見違えても、私たちはちょっと皺や白髪や体重が増えたり髪が薄くなったりして歳を重ねただけでそれほど変わることはないせいでしょうか、なんとも懐かしい気分に浸ることが出来ました。そんな気分とともに、この店のカルビ・タンやユッケ・ジャンなどのスープ物は昔のまま、実に美味くて堪能しました。
 ペナン二日目のことは、稿をあらためます。
 上の写真はGurney Plaza(但し裏玄関)。
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