「つながり」の旅 in Paris ~ 人と人、自然、地域との「つながり」 ~

人・自然・地域との「つながり」をテーマにした旅や暮らし(エコツーリズム、スローライフ等)について日々の想いを綴ります。

絶景の街・ルクセンブルク②

2021年09月08日 | パリから足を伸ばして

シックなルクセンブルク旧市街の街並みを抜けて早速絶景の名所へ。

公園から延びる通路を向かうと、旧市街とEU議会事務局があるヨーロッパ地区を結ぶ赤い橋を見渡せる展望台に来ます。

展望台の反対側は、このように崖下の市街地を望めます。

そしてこの展望台の先端部は、床がガラス張りで真下を見下ろせます。これはかなり冷や汗ものです。怖くて真下を直視できませんでした。

下から見上げるとこんな感じ。実は落差71mを垂直に降りるガラス張りのエレベーターなんです。断崖の上の旧市街と、川近くの市街地を結ぶエレベーターがガラス張りで、さらに展望台を兼ねており、ちょっとした観光名所になっています!

川の下の街も落ち着いて良い雰囲気です。

崖の上の旧市街地に戻ります。街の中心部にある大公宮殿では、毎日衛兵の交代式が行われています。観光案内所で今日は16時からと聞いていたので、その時間に行ってみると、すでに大勢の観光客が。

音楽隊の生演奏とともに、10分程度の交代式を目の前で見ることができました。

ちなみに、この後、旧市街でも最も古いといわれるサン・ミシェル教会に立ち寄ったら、ちょうど結婚式をやっていました。

午前中のカテドラルではパイプオルガンの生演奏会を、午後の教会では結婚式を垣間見ることができて、ラッキーでした。


絶景の街・ルクセンブルク①

2021年09月05日 | パリから足を伸ばして

パリからTGVで2時間でルクセンブルク中央駅へ。

 

2020年3月から、公共交通利用促進の為に無料となったトラムとバスに5分ほど乗り、世界遺産にも登録されている旧市街地へ。

街のシンボルともいえる、高い尖塔を持つノートルダム大聖堂と市役所

ノートルダム大聖堂前の入り口

 

内部には巨大なパイプオルガンが。ちょうど、土曜日の午前中でコンサートが行われており、見事なパイプオルガンの響きを聞くことができました。

 

ルクセンブルクは、川の湾曲した断崖絶壁の上に街ができていて、その断崖を利用した要塞都市でした。大聖堂前の道を渡った広場からは、街が深い谷に囲まれており、対岸の新市街と巨大な橋で結ばれることを実感します。

 


トゥールーズで運河と教会巡り

2021年09月02日 | パリから足を伸ばして

トゥールーズはガロンヌ川とミディ運河などの水運で栄えた街。暑いだったこともあり、水上から街を眺めることにしました。

街の中心にあるガロンヌ川沿いの遊覧船乗り場にて。

チケットを買った出港1時間前は誰もいませんでしたが、出港間際に行ったら川と運河めぐりの船は満席でした。

ガロンヌ川の橋は、洪水時に水を通過させて橋にあたる衝撃を弱めるため、上のような穴を橋桁に明けているそうです。

運河に入ると木陰でひんやり。水が干上がらないように影を作るため、そして土手を強固にするために、運河のそばには植樹がされたとか。

16世紀に作られたミディ運河は、ルイ14世の頃、ベルサイユ宮殿建設と並ぶ国家プロジェクトだったそうです。

 

3つの運河が出会うところで折り返し、ガロンヌ川沿いの乗船ポイントに戻ります。約1時間の船旅でした。

乗船ポイントのすぐ近くにある古い教会、中はカラフルな装飾です。

こちらは町の中心にある、サン・セルナン・バジリカ聖堂。8角形の塔が目立ちます。世界遺産の一つです。

スペインのサン・ティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼地として、大勢の巡礼者を迎える巨大な聖堂が作られたとか。

  

 

こちらはサンテティエンヌ大聖堂。

さすがフランス第4の大都会だからか、トゥールーズの街には、立派な教会がいくつもありました。

 


バラ色の街、トゥールーズ

2021年09月01日 | パリから足を伸ばして

トゥールーズは人口45万人のフランス第4の街。SNCFのトゥールーズ・マタビオ駅も風格があります。

街の中心にあるビクトル・ユーゴー市場へ来ました。美味しそうな惣菜や名産のトゥールーズ・ソーセージ、鴨のコンフィなどが並びます。

ソシソン(乾燥ソーセージ)をつまみにワインを飲ませるバーもあります。

こちらはチーズ専門店。フランスの地域ごとの特産チーズが分かりますね。なにしろ、1年の日数分、つまり365種類のチーズがあるといわれる国ですから…。

街の中心、キャピトル広場。市役所と劇場が一体となった見事な建物と、カフェのテラスで賑わう市役所前広場です。

市役所の建物正面は工事中でしたが、フランスでよくある化粧囲いがかかっています。

こちらは中庭に面した建物。この街は、岩石があまりとれないことと、土壁の家が多い中世に火事で街の広い範囲が焼けたために、赤レンガ造りの建物が多く、それが夕日に輝く様子から、バラ色の街、と呼ばれています。

 

市役所は土日も一般公開されていて、豪華な内部を見学することができます。

  

街を歩くと、やはりレンガ造りの建物が多く目につき、それもロンドンのような茶色のレンガではなく、赤レンガです。なので、「バラ色の街」と呼ばれるのも納得。そもそもトゥールーズは、16世紀にはパステルと呼ばれる染料の交易で栄えたまちだとか。

ホテルの窓から見下ろす夕暮れ時の街。同じフランスでもパリとは全く違う、テキサスやアリゾナのような南国を感じさせる乾いた空で、雲一つありません。

トワイライトタイムには、サン・セルナン・バジリカ聖堂の8角形の塔が浮かび上がります。


カルカッソンヌを見ずして死ぬな

2021年08月30日 | パリから足を伸ばして

「カルカッソンヌを見ずして死ぬな」と言われるカルカッソンヌは、ヨーロッパ最大規模の城塞都市で、フランスでも、パリ以外では、モン・サン・ミッシェルに次いで2番目に日本人観光客が多く訪れる地だそうです。

朝の静かなカルカッソンヌ駅。パリ発の夜行列車からカルカッソンヌの駅で降りた人は多くありませんでしたが、早朝から駅周辺では旅行者を見かけたので、この地が観光地であることを感じます。駅前には、城塞と並んで世界遺産である、約240kmにもおよぶミディ運河があります。大西洋岸から地中海までをショートカットする物流の動脈として大きな役割を果たしたそうです。

運河を抜けると城外の下町・バスティード・サン・ルイ。落ち着いた街のカフェでモーニングをゆっくりいただいて休憩。街を歩きながら城を目指します。

 

城下町から川を隔てて城郭までは歩いても行けますが、夜行列車明けで寝不足なこともあり、バスで向かいます。途中の橋からは、彼方に立派な城壁が見えます。

いよいよ城が目の前に。さすがに迫力があります。

 

周囲3km、塔も52もある城郭の周囲を約25分かけて1周するプチトランに乗りました。大人7.5€、子供4€、日本語ガイドもあります。

 

いかにもヨーロッパの中世の城塞、というこの城は古代ローマ時代の要塞跡に築かれたようで、11~12世紀に絶頂を迎えたそうです。キリスト教の異端と言われたカタリ派が拠点にしたものの、アルビジョワ十字軍に敗れ、その後はフランス国王の所有となったとのこと。

プチトランに乗ると、しばらく城壁に沿って一周し、その後城下町に降りて城郭を遠くに望み、また城のメインの入り口であるナルボンヌ門に戻ってきます。

 

プチトランを降りて城の中をめぐります。城の中は土産物屋やレストランが立ち並んでいます。

  

いよいよ天守閣ともいえる13世紀の建物が残るコンタル城へ。城の建物の中をめぐり、城に残る美術品のほか、城壁の上から荘厳な城下の眺めが見られるので、入場(城)料の9€の価値は十分にあります。

    

かつての兵の駐留場所には19世紀末に野外劇場が設けられ、今でも夏の祭りのイベントがここで行われるそう。

コンタル城を出ると、城郭の中にあるサン・ナゼール・バジリカ聖堂へ。11世紀からの歴史を持ち、19世紀に城塞とともに修復されたようですが、中の13-14世紀のステンドグラスは見事です。

 

 

最後は、城塞の中にあるレストランで名物のカスレに挑戦。白いんげん豆やカモ肉、トゥールーズソーセージ等を煮込んだもので、美味しいですがボリュームがありすぎて食べきれませんでした。

たっぷり歩き疲れて、特急で40分のトゥールーズへ向かいました。


夜行列車の旅

2021年08月29日 | パリから足を伸ばして

夏休み最後の旅行は、パリから約700km南のカルカッソンヌまで、夜行列車で向かいます。TGVを乗り継いで4時間以上、飛行機だとトゥールーズ空港まで行って電車に乗り換えて…となりますが、夜行列車ならパリから直通だし、夜行列車の旅はなかなか日本ではできないので。

日本では夜行列車はほとんど残っていませんが、ヨーロッパでは、環境問題の観点から飛行機での移動が避けられる傾向にあることも手伝って、若者を中心に比較的安い夜行列車の旅が見直されており、ドイツ・オーストリアを中心に一時は廃止となった夜行列車が復活されたりしています。フランスに残る夜行列車は3,4路線、そのうち、今回乗った地中海に面するスペイン北端のPortBouに向かう夜行列車は、バカンス中ということもあって満席のようです。若者のみならず、家族連れなどが多いようでした。

22時前に、パリ南部のオーステルリッツ駅に着くと、列車のホームに行く前にパス・サニテール(ワクチン接種証明または陰性証明)の提示を係員に求められ、チェックが済むと青いリストバンドを腕に巻かれます。さらに進むと、改札の手前でも係員が立っており、すでに青色のリストバンドをした乗客は「ファスト・パス」と書かれた列に並び、指定席券の席番をチェックされていましたが、そうでない乗客は改札口で乗車券とパスサニテールの提示を求められていました。

 

いよいよ列車に乗り込みます。列車は13両編成で、先頭の3両はフランス南部のLatour行き、残り10両はPortbou行きでした。手間の一両は椅子席車両でしたが、それなりに乗っている人がいました。寝台は4人一部屋の1等寝台と6人一部屋の2等寝台があります。4人家族なので、家族で個室を使ったほうが気楽なので1等にしましたが、結果的に正解でした。

2等車も見に行きましたが、日本の昔のB寝台のように3台寝台で、しかも上段と中段はベットの幅も狭そうです。これは子供との添い寝など絶対できないでしょう。

 

寝るときは、ベッドの上の寝袋式のシーツを広げ、その中に入って寝る形になります。壁の顔の位置に網掛けの物入れがあるほか、入り口のドアの脇に小さな読書灯もあります。個室のドアはロックが2重にかけられるほか、マイクの音量や冷暖房の強さを調節できるつまみもありました(あまり調整は利かなかったけど)。意外と細かい気遣いがされた作りになっています。

また、アメニティセットもあり、紙パックに、アイマスク、耳栓、歯磨きの代わりの飴(美味しくはない)、紙ナプキン、除菌おしぼり1枚が入っているほか、500mlのペットボトルの水が一人に一つずつついています。

ちなみに、アメニティグッズが入っていた段ボールの箱は、裏にスウドクがあって、結構遊び心を感じます。次の日に軽い気持ちでスウドクを解き始めたら、結構難しくて全問解くのに15分くらいかかりました。(当日やったら眠くなりそう…)

肝心の夜行列車の寝心地ですが、久々に鉄路を走る振動の揺れ(夜行列車に乗ったのは「あさかぜ」以来約30年ぶり)を感じるのは懐かしく、かつて日本の夜行寝台に乗って旅行したことや、学生時代に一人でヨーロッパを旅行した時に、ホテル代と時間を稼ぐために夜行列車によく乗ったことを思い出しました。なかなか旅情を感じるものがありますが、私たちの個室は車端だったので、壁を隔てたトイレや洗面所のドアの開閉音が気になりました。また、寝相が悪いのに上段に寝た息子が寝台から落ちやしないかと思ってたびたび目が覚めました。ただ、子供たちは結構眠れたようですし、体を横に休めることはできるので、冬はこれでスキーに行くこともできるかも…。


バスク地方の旅③

2021年08月28日 | パリから足を伸ばして

バスク地方の旅、最終日は、スペインのサンセバスチャンから陸路でフレンチバスクへ向かいます。

まずはサンセバスチャンの新市街にあるカテドラルへ。比較的新しく建てられたようですが外観は重厚です。

日曜日の午前中なのでミサをやっていましたが、自由には入れました。ミサ中なのでいつも以上に厳かな雰囲気です。

街中の国鉄駅の隣にあるバスターミナルからバスに乗ります。ビアリッツ・バイヨンヌなどのフレンチバスクへの移動は観光シーズンということもあって多いようで、同じような時間帯に複数のバス会社がたくさんバスを出しています。バイヨンヌまで1時間半、家族4人で16ユーロと格安でした。(Flix bus)

バス移動もこの地域では一般的なようで、バスターミナルも近代的です。ビルの地下に、駅や空港のように、行先別にバスの発着場所を示す電光掲示板があり、発着場所も15カ所くらい整然と並んでいます。

バスで国境を超えるのは初めてなのでどうなるのかと思っていたら、スペインとフランスの国境を隔てる川の橋を渡ったところで、運転手からアナウンスがあり、フランスの警察が乗り込んできて、フランス政府が長距離移動の際に求めているワクチン接種証明またはコロナ陰性証明の提示を求められました。

自分の携帯のQRコードのワクチン接種証明とIDを見せたらO Kでしたが、斜め前に娘と座っていた妻は、娘のIDまで提示を求められました。ただ、妻が振り返って、私に娘のパスポートを…と呼びかけたら、「旦那も一緒ならいいよ」、と急に提示不要と言われました。夫婦一緒ならいいけど、片親が子供を連れていたら、離婚の子供連れ去りかと思われるのでしょうか…?

フレンチバスクの中心・バイヨンヌは、大聖堂を中心に川沿いに開けた街。川を渡って旧市街に向かう橋は、なぜか各国の国旗が橋げたに掲げられていました。

旧市街の入り口の広場では、何かのお祭りのようで伝統的な踊りが行われているようでした。

アフリカからカカオ豆が初めて陸揚げされ、フランスのチョコレート発祥の地だそうです。古い雰囲気が残る街中にも、ショコラテリエがいくつもありました。

古い街並みの向こうに大聖堂の尖塔が見えます。

正面のファサードの彫刻は削り取られているようでした。

世界遺産にも指定されているバイヨンヌの大聖堂は、重厚な雰囲気でした。

特産の生ハムをランチで味わい、涼しいパリへ戻りました。

もうすぐ夏休みも終わりです。


バスク地方の旅②

2021年08月22日 | パリから足を伸ばして
バスク地方の旅、サンセバスチャン2日目は、バスに乗って街を眺めながらモンテ・イルゲドへ。
ラコンチャビーチを挟んで左手に位置する、上に灯台の役割を果たす丘です。
麓の駅から100年前に作られたというケーブルカーに乗って山頂へ。
山頂はミニ遊園地になっていて、街を一望できます。

市街地に戻り、午後はビーチを目指します。こちらは、パリのアレクサンドル3世橋をモデルに作られたマリア・クリスティーナ橋。
 
こちらはサーファーに人気のズリオラビーチ。昨日のラコンチャビーチほどではないですが、多くの人で賑わっていました。

昨日より波が大きかったですが、子供たちはとても楽しそうでした。

一日外にいるとのどが渇きますね…。

宿に戻ってシャワーを浴び、ピンチョスバーに行く前にビールでのどを潤します。サンミゲルもフランスでは買えません。

こちらは、人気のピンチョスバー、Sport Bar.入ろうとしたらいきなり日本語で「チョットマッテクダサイ」といわれて面喰いました。
日本の人も多く来るようで、メニューにも日本語が!
こちら、地元でピンチョスのおともに飲まれているという地元のワイン・チャコリ。塾度の低いブドウで造られた酸味のある(微発泡性の)白ワインです。
コップから離して泡が立つように注ぐのでトールグラスです。サッパリするので、あまりグビグビ行かなくて良いかも。ピンチョスバーだとハシゴするし…。

↑キノコのグリルとトマト、 ↓以下のバジルとバルサミコソース掛け

ピンチョス名物、フォアグラのソテー。バジルソースでさっぱり。

バスクは海沿いなので、海産物を使った一品料理が少しずついろいろと食べられて、もちろん特産の生ハムを使った肉料理もあり、土手も美味しかったです。
数多くのピンチョス・バルがひしめく旧市街のとおり。夜8時、9時頃が大盛況。
 
夜風に吹かれながら旧市街を歩くと、晩餐で賑わう広場に。

パリでは肌寒いですが、南欧だと夜風が気持ち良いです。

夜9時前でも旧市街の真ん中にある教会が開いていたので入ってみました。
カトリックらしく、荘厳な祭壇があります。

旧市街の外れにある、県庁舎も味わい深い建物でした。

バスク地方の旅

2021年08月21日 | パリから足を伸ばして
フレンチバスクからスペインのバスクへ、陸路で移動します。
 
フランス側の鉄道の終点はアンダイエ。パリから直通のTGVもありました。(約4時間45分)
フランス国鉄SNCFの駅を出るとすぐに、バスク鉄道の小さな駅舎が。駅も車両も近代的です。

新しくきれいな車両で、冷房もあったので、30度あったこの日も快適でした。

約40分でサンセバスチャン着。Amaraというのが駅名なので、少しわかり区いかも。ちなみに、スペイン国鉄の駅はサンセバスチャンという名前がついています。

こじんまりしていますがなかなかきれいな駅。
宿で荷物を置いて、早速中心部のラコンチャビーチへ。ビックリするほど混雑していました。湘南海岸並み…。
涼しい日が続いた後、急に暑くなったので、一斉に海に押し掛けたのかも。王族が避暑地として海水浴したことから、この地が海辺のリゾートとしてにぎわうようになったようです。
小高い丘はかつて18世紀初頭のスペイン継承戦争の際に、要塞となった場所だそうです。そのふもとの旧市街が広がります。
古風な建物は元カジノ、カジノが禁止されて以降は市役所となっています。
この後、いよいよ旧市街に広がるバルを目指します。

バスク地方へ

2021年08月21日 | パリから足を伸ばして
フランスとスペインにまたがるバスク地方に行きました。フランス語でPays Basque(バスクの国)と称されるように、独特の文化・言語が今でも残っている文化圏です。パリ・オルリー空港からの国内線が到着するビアリッツ空港にも、Pays Basqueの文字がありました。

空港から、バスク地方の主な街を結ぶL3バスで30分、海沿いのリゾート地・Saint Jean de Luzに到着。観光客と地元客でにぎわっている朝市に入ると、美味しそうなパエリアや海産物の炒め物、ガトーバスクが売られていて食欲をそそります。

なぜかYAKITORIと書かれた串焼きもありました。

海産物がおいしそう。パエリアにも大型のエビがたっぷり。
それもそのはず、この街はきれいな遠浅の砂浜が広がるリゾート地で、小さな町なのに夏は大賑わい。中心部の街路は原宿の竹下通りのように混んでいました。
もともと、クジラと鱈の漁業で栄えた街のようです。ただ、一方で土地が低い沼地で、嵐により大西洋の荒波に浸食され手街は18世紀には衰退したようです。
 
歴史を紐解けば、17世紀のスペインとフランスの戦いは、フランスの全盛期の太陽王ルイ14世とスペイン王家の王女マリー・トレーズがこの町で結婚式を挙げた婚姻により終わったようで、その教会がこの町の中心にあります。こじんまりとしていますが、ベルサイユ宮殿にあるような壁画や、結婚式を多くの人が見守るために設けられた桟敷が目を惹きます。
  
海辺のリゾートを楽しむ観光客でにぎわう街を歩くと、特産のバスク唐辛子を干している風景に出会いました。
 
この干しトウガラシのすだれ?を装飾にしているお菓子屋は、この地方独特のマカロンが有名だそうです。
 
街には、ルイ14世とマリア・テレーザ王女が結婚式の前後に滞在した建物が、王の館、王女の館として残っています。王の館の外壁には、堂々とした王の肖像画が。