三多気(みたけ)の桜。
「日本さくら名所100選」にも選ばれたサクラの名所。伊勢本街道から真福院への参道1.5kmにわたり、ヤマザクラ約500本の並木道が続きます。花見シーズンにはライトアップがあり、夜桜を楽しむことができます。また、三多気地区は高低差があり古木が多いため、比較的長い期間花見ができます。
4月16日、そろそろ、桜も終わりかけだと言うのであわてて出かけました(笑)。
桜1

桜2

桜3

桜4

駐車場辺りの桜です。
さくら名所100選の地

参道入り口付近に建てられています。
桜&茶畑

「伊勢茶」の産地でもあります。
夜桜広場

ライトアップされ、オンシーズンには、賑わうそうです。
桜&棚田

坂道(参道)をゆっくり上がっていきます。棚田が見え、のんびりした風景が・・・。
桜、古木

かなり古く、幹は、ほぼ「皮」状態。散りかけてはいますが、たくさん咲いています。
登録有形文化財

茅葺屋根の建物です。この辺りで撮られた写真が展示されていました。
茅葺屋根から

裏の方から撮ってみました。屋根の向こうに桜が見えていますが・・・。
ヤドリギ

この桜に寄生している「ヤドリギ」です。
真福院鳥居

桜を見ながら参道を上がってくると目の前に現れてくるのが、真福院鳥居です。
院というのでお寺、でも鳥居が・・・。
神仏混合の風景。
第七十一番 御嶽山 真福院
白鳳時代(670頃)役行者がこの地へ蔵王権現を祀られたのが、当山の草創と伝えられている。平安末期から室町末期(1180~1570頃)までは蔵王権現の霊場として栄え、平清盛、北畠親房らも参篭したこともあるという。北畠氏の祖、中院通方卿は堂塔を建立されている。山門前には鎌倉期の石仏、石碑が群集しており、当時の隆盛が偲ばれる。正和元年(1312)失火により堂宇全焼し、一時衰退したが文保の頃(1317)滝覚坊が再建復興させた。滝覚坊が完成させたという精進祭流鏑馬は、今も一月四日と五日に古式通り行われている。国司北畠顕能は、信仰厚く念持仏不動尊を納め、一族の祈願所とした。また山門まで約八キロにわたり桜並木を整備された。天正四年伊賀乱の兵火により本堂を残し焼失する。元和六年(1620)祐栄師は地元の氏神(仏)�
��して復興された。慶安三年(1650)榮秀が鐘楼門を造立。明治六年の神仏分離令により寺院となったが、今なお「お宮さん」としての信仰も続いている。大正十四年護摩堂を再建。寺容は次第に整備され今日に至っている。
山門前の石碑群は、鎌倉時代の石造遺物として県の文化財に指定されている。主なものは、弘長元年(1261)銘の梵字石仏。正安四年(1302)銘の宝篋印塔基礎二基、阿弥陀三尊の梵字石仏、善光寺曼陀羅梵字碑、胎蔵、金剛両界大日梵字仏など。遠近問わず「みたけの権現さん」とよく知られ、修験に参詣に春は桜見物に多く訪れる。(三重四国八十八ヶ所霊場 ホームページより)
弘長供養碑

写真右端の碑に、弘長元年の銘がある梵字碑です。
左の小さいものが、正安4年の銘がある宝筐印塔(ほうきょういんとう、墓塔・供養塔などに使われる仏塔の一種)です。
供養碑

境内に建つ碑。
杉&鐘楼門

2本の大杉の間を石段が続いています。正面に鐘楼門、左手に手水舎があります。
大欅

鐘楼門への石段の途中にあります。昭和15年、県指定天然記念物になりました。幹周り約6,1メートル。
鐘楼門

鐘

普通の門だと思っていたら、中に「鐘」がありました。
手水舎

清めてお詣りです。
護摩堂

鐘楼門をくぐった、左手にあります。
境内

上の方から見たところです。鐘楼門、護摩堂などがみえます。
つつじ1

つつじ2

桜

境内写真、左手のほうに見えている花たちが、これ。
観音堂

本堂(蔵王尊)

室町時代の作と推定される木彫蔵王権現像が安置されています。極彩色。総高2メートルだそう。
棚田

「棚田の水面に映る桜」を、撮るべく大勢の方が並んでいらっしゃいました。三脚を立てたり・・・。
アラセイトウ

クサノオ

スミレ

水仙

雪柳

丹頂草

参道、境内などでみられた花たちです。
鳥

茅葺屋根の建物の裏の方で、大勢の方がカメラを構えながら談笑してられました。どうも「眼とカメラ」の向きが違うと思っていたら、「来た来た」「今だ」・・・の声と共に一斉に「パシャパシャ」とカメラのシャッター音が・・・。「あー、行ってしまった」「もう今日は終わりかな?」と。どうやら、アカゲラの雛に親鳥が餌をやりに戻ってくるのを待ってられたみたいでした。慌てて探して、見当で撮りました。私にしたら、雛の頭が撮れただけでもラッキー。
「日本さくら名所100選」にも選ばれたサクラの名所。伊勢本街道から真福院への参道1.5kmにわたり、ヤマザクラ約500本の並木道が続きます。花見シーズンにはライトアップがあり、夜桜を楽しむことができます。また、三多気地区は高低差があり古木が多いため、比較的長い期間花見ができます。
4月16日、そろそろ、桜も終わりかけだと言うのであわてて出かけました(笑)。
桜1

桜2

桜3

桜4

駐車場辺りの桜です。
さくら名所100選の地

参道入り口付近に建てられています。
桜&茶畑

「伊勢茶」の産地でもあります。
夜桜広場

ライトアップされ、オンシーズンには、賑わうそうです。
桜&棚田

坂道(参道)をゆっくり上がっていきます。棚田が見え、のんびりした風景が・・・。
桜、古木

かなり古く、幹は、ほぼ「皮」状態。散りかけてはいますが、たくさん咲いています。
登録有形文化財

茅葺屋根の建物です。この辺りで撮られた写真が展示されていました。
茅葺屋根から

裏の方から撮ってみました。屋根の向こうに桜が見えていますが・・・。
ヤドリギ

この桜に寄生している「ヤドリギ」です。
真福院鳥居

桜を見ながら参道を上がってくると目の前に現れてくるのが、真福院鳥居です。
院というのでお寺、でも鳥居が・・・。
神仏混合の風景。
第七十一番 御嶽山 真福院
白鳳時代(670頃)役行者がこの地へ蔵王権現を祀られたのが、当山の草創と伝えられている。平安末期から室町末期(1180~1570頃)までは蔵王権現の霊場として栄え、平清盛、北畠親房らも参篭したこともあるという。北畠氏の祖、中院通方卿は堂塔を建立されている。山門前には鎌倉期の石仏、石碑が群集しており、当時の隆盛が偲ばれる。正和元年(1312)失火により堂宇全焼し、一時衰退したが文保の頃(1317)滝覚坊が再建復興させた。滝覚坊が完成させたという精進祭流鏑馬は、今も一月四日と五日に古式通り行われている。国司北畠顕能は、信仰厚く念持仏不動尊を納め、一族の祈願所とした。また山門まで約八キロにわたり桜並木を整備された。天正四年伊賀乱の兵火により本堂を残し焼失する。元和六年(1620)祐栄師は地元の氏神(仏)�
��して復興された。慶安三年(1650)榮秀が鐘楼門を造立。明治六年の神仏分離令により寺院となったが、今なお「お宮さん」としての信仰も続いている。大正十四年護摩堂を再建。寺容は次第に整備され今日に至っている。
山門前の石碑群は、鎌倉時代の石造遺物として県の文化財に指定されている。主なものは、弘長元年(1261)銘の梵字石仏。正安四年(1302)銘の宝篋印塔基礎二基、阿弥陀三尊の梵字石仏、善光寺曼陀羅梵字碑、胎蔵、金剛両界大日梵字仏など。遠近問わず「みたけの権現さん」とよく知られ、修験に参詣に春は桜見物に多く訪れる。(三重四国八十八ヶ所霊場 ホームページより)
弘長供養碑

写真右端の碑に、弘長元年の銘がある梵字碑です。
左の小さいものが、正安4年の銘がある宝筐印塔(ほうきょういんとう、墓塔・供養塔などに使われる仏塔の一種)です。
供養碑

境内に建つ碑。
杉&鐘楼門

2本の大杉の間を石段が続いています。正面に鐘楼門、左手に手水舎があります。
大欅

鐘楼門への石段の途中にあります。昭和15年、県指定天然記念物になりました。幹周り約6,1メートル。
鐘楼門

鐘

普通の門だと思っていたら、中に「鐘」がありました。
手水舎

清めてお詣りです。
護摩堂

鐘楼門をくぐった、左手にあります。
境内

上の方から見たところです。鐘楼門、護摩堂などがみえます。
つつじ1

つつじ2

桜

境内写真、左手のほうに見えている花たちが、これ。
観音堂

本堂(蔵王尊)

室町時代の作と推定される木彫蔵王権現像が安置されています。極彩色。総高2メートルだそう。
棚田

「棚田の水面に映る桜」を、撮るべく大勢の方が並んでいらっしゃいました。三脚を立てたり・・・。
アラセイトウ

クサノオ

スミレ

水仙

雪柳

丹頂草

参道、境内などでみられた花たちです。
鳥

茅葺屋根の建物の裏の方で、大勢の方がカメラを構えながら談笑してられました。どうも「眼とカメラ」の向きが違うと思っていたら、「来た来た」「今だ」・・・の声と共に一斉に「パシャパシャ」とカメラのシャッター音が・・・。「あー、行ってしまった」「もう今日は終わりかな?」と。どうやら、アカゲラの雛に親鳥が餌をやりに戻ってくるのを待ってられたみたいでした。慌てて探して、見当で撮りました。私にしたら、雛の頭が撮れただけでもラッキー。