【折々の花だより】

”季節の花だより”
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祇園祭

2024-07-20 | デジカメ紀行

コンコンチキチン、コンチキチン。祇園囃子とともに、7月の京都は祇園祭一色。祇園祭は千年以上の歴史を持ち、7月1日(吉符入)から31日(疫神社夏越祭)まで、1か月にわたって多彩な祭事が行われる八坂神社の祭礼です。

古くは、祇園御霊会(ごりょうえ)と呼ばれ、貞観11年(869)に京の都をはじめ日本各地に疫病が流行したとき、勅を奉じて当時の国の数66ヶ国にちなんで66本の矛を立て、祇園社より神泉苑に神輿を送って、災厄の除去を祈ったことにはじまります。

ハイライトは17日(前祭)と24日(後祭)の山鉾巡行。山鉾行事はユネスコ無形文化遺産に登録されています。

 

祇園祭の「ちまき」は、厄除けのために各山鉾町で売られています。
ちまきが厄除けの役割を担っているのは、八坂神社の祭神・素戔嗚尊(すさのおのみこと)が旅の途中でもてなしてくれた蘇民将来に対し、 お礼として「子孫に疫病を免れさせる」と約束し、その印として「茅(ち)の輪」を付けさせたのが始まりと言われています。
それぞれの山鉾のちまきは、厄除け・疫病除けの他、縁結び、金運招福、学業成就など、様々なご利益や由来をもちます。

 

「鶏鉾のちまき」

ご利益:厄除け・疫病除け

 

「行者餅」

「常ハ出ませぬ一日限り」

京都のまちが祇園祭の熱気に包まれる7月16日、1年に1度、この日にしか手に入れられない京菓子。

クレープ状のふのやきに、粉山椒の風味が効いた味噌餡と四角い小さな餅が包まれる。行者の篠懸(すずかけ)を模した形という。

 

文化3年(1806)、京の都に疫病が大流行し、まちは大混乱した。当時の柏屋の先代が山伏として、奈良・大峰山回峰修行中に霊夢を授かり、京都に戻った後、夢のお告げの物をつくり、修験道の開祖役小角(役行者)らを御神体とする「役行者山」に供えて縁者にも配ったところ、その人々は疫病から免れ、「無病息災の霊菓」と喜ばれた。以来、「行者餅」と名付けて年に1度、宵山の日に限って発売することになったという。

 

説明文は公式サイトより


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