【折々の花だより】

”季節の花だより”
花たちとの出会いを楽しんでます

霊山寺 PartⅠ

2023-05-21 | デジカメ紀行
霊山寺の所在する富雄の里は、古事記には「登美」であり、日本書紀では「鳥見」の地となっています。
敏達天皇の頃より、この地方は小野家の領有でした。右大臣小野富人(遣隋使・小野妹子の息子と伝わる)は壬申の乱に関与したため、弘文元年(672)官を辞し、登美山に閑居しました。天武12年(684)4月5日より21日間熊野本宮に参籠。この間に薬師如来を感得され、登美山に薬草湯屋を建て、薬師三尊仏を祀って諸人の病を治されました。そして富人は鼻高仙人と称され尊崇されました。

神亀5年(728)流星が宮中に落下し、大騒ぎになり孝謙皇女が征中の病にかかられた時、聖武天皇の夢枕に鼻高仙人が現れ、湯屋の薬師如来を祈念すれば治るとのお告げがあり、すぐに行基菩薩が代参。皇女の病が快癒しました。天平6年(734)聖武天皇は行基菩薩に大堂の建立を勅命。
天平8年8月インドバラモン僧、菩提僊那が来日され、登美山の地相が霊鷲山(りょうじゅせん)にそっくりということから、寺の名称を霊山寺(りょうせんじ)と奏上され、落慶となりました。

5月12日訪れました

<境内図>



<霊山寺山門>



大辯才天の朱塗りの大鳥居が立ち参拝者を出迎えます。
霊山寺はお寺なのに、なぜ鳥居?
鳥居は神門、つまり結界を表し、内部は浄域となります。仏教では天部の諸神を祀るところに立てられています。霊山寺には弘法大師がお祀りになった辯才天がおられるので鳥居があります。







カルミア







近くに 



<薬師湯>






 食事処・宿泊施設




<八体仏霊場>



生まれ年の十二支お守り本尊は、人々の一生をお守り下さる開運、厄除けの仏さまとして広く親しまれ、信仰されています。
十二支と星座を組み合わせて、生まれ年干支と生まれ日星座お守り本尊霊場として、原型制作より5年をかけ平成3年に完成しました。


<行基菩薩像>

境内の八体仏霊場の横にある行基菩薩像は赤膚焼で、近鉄奈良駅の噴水の上におられる像と同じだそうです。
霊山寺は行基菩薩が大堂を建立されたことから、ここに祀られています。


大辯才天へは、こちらからの階段をあがって行きます。






  


<大辯才天堂>



弘仁時代弘法大師ご駐留の時大龍神の霊験を感得せられ、大龍神を辯才天として奥之院へ勧請されましたが、当寺開創1200年辯才天の命令により、現世利益の道場として昭和10年新築。
本尊には辯才天の本地仏聖観世音菩薩を祀り、脇侍に不動明王、毘沙門天を祀っています。


< 黄金殿・白金殿>

ー黄金殿ー
昭和36年、大辯才天堂の奥本殿として新築。本尊は弘法大師勧請の福徳開運商売繁昌の大辯才天女尊。
鉄筋コンクリート造りの舞台の上に屋根桧皮葺総桧造り堂の内外を総金箔貼り。
奥州平泉の金色堂、京都の金閣寺と並んで日本三金殿の一つ。
ー白金殿ー
大辯才天黄金殿と並んで昭和52年建立。黄金殿と同形同大同姿の建物。鉄筋コンクリート造りの舞台の上に屋根銅板葺総桧造り、プラチナの箔押を施し、堂の外側に硝子張りの囲いを取り付けたもので世界でも初めての白金のお堂。大辯才天の大神通の霊感を得た円照尼と眷属大龍神を祀っています。


寺務所、本堂へ。

階段を上がって行きます。



出迎えてくれました。


<本山寺務所>







 

  



ご朱印、頂きました。







本堂へ

<手水舎>



< 鐘楼>(重文)

桁行一間、梁間一間、袴腰付入母家造りの桧皮葺。
細部の手法から室町初期の創建とされています。
梵鐘は寛永21年(1644)の鋳造。


< 本堂>(国宝)



鎌倉時代の代表的建物。弘安6年(1283)に改築。昭和17年解体修理。
本尊薬師如来、脇侍日光・月光菩薩は春日厨子内にあり秘仏・十二神将・二天王・大日・阿弥陀如来・行基菩薩・菩提僊那が祀られています。


奥之院へはこちらから。

本堂より西約1km。原始林に囲まれ、涸れることない谷川に面しています。 弘仁時代弘法大師ご駐留のとき感得された霊験偉大な大龍神を辯才天として祀ってあり、 千数百年の間守護神として霊山寺を守護されているそうです。


<開山堂>

古くは開山行基菩薩を祀っていましたが、江戸時代より弘法大師を本尊とし、歴代徳川将軍の位牌が祀られています。 昭和28年に改新築。


<弁天堂>



放生池の東の隅にある水芭蕉は、日本中部以北の山地湿原などに群生し、奈良県にあるのはとても珍しいそう。いつ頃か分かりませんが、富山県の信者の方が1株植えられ、今では20株ほどに増えましたと。


木々の緑がきれいです。



なんじゃもんじゃの木




続いてバラ庭園へ

<バラ庭園>
第二次世界大戦で、シベリアに抑留された当時の住職が、帰国後一番に願ったことは世界平和でした。お寺を訪れる人が花を見て、心の安らぎを感じ、平和の大切さを知ってほしいと考えました。
庭園は本堂の鬼門(北東)にあり、鬼門にはトゲのある木を植える習わしに倣って薔薇を植えました。


説明文は公式サイトを参考にしました。
PartⅡではバラ園を紹介します。




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