【折々の花だより】

”季節の花だより”
花たちとの出会いを楽しんでます

和気の藤

2017-05-30 | 花だより
「藤の花咲く郷」
その昔、その名の通り、この藤野の地は藤が咲き乱れる原野であったと伝えられています。
そこで、この地で誕生した和気清麻呂公の生誕1250年を記念して「藤の花咲く郷公園整備」により昭和60年に藤公園が完成しました。

約7,000㎡の園内に、幅7m、総延長500mの藤棚があります。
北は函館北海道・函館の藤、南は鹿児島県・坊津の藤。野生の藤が生息しない沖縄を除く全国46都道府県の著名な藤と、国外では中国・韓国産の藤を集めています。
国指定天然記念物7種類、市町村指定天然記念物26種類、その他19種類。
約100種類150本の紫・ピンク・白の藤が咲き乱れる「日本一の藤の公園」です。

5月5日訪れました。

駐車場に車を停め向かいます。

霞橋

社頭を流れる日笠川に架かる橋で、
「俗界と聖界の境にある橋」とされます。


橋を渡ると見えてくるのが、この像。

和気清麻呂(わけのきよまろ)公




和気清麻呂は、奈良時代末期から平安時代初期の貴族。
備前国藤野郡(現在の岡山県和気町)出身。


日本彫塑界の大御所、故朝倉文夫作のこの像は高さ4.63mの青銅製。
清麻呂公生誕1250年を記念して、清麻呂公の故郷である和気町に寄贈されました。

この像の左方向が藤公園、右に和気神社があります。

藤公園へ向かう道には、ご当地B級グルメの屋台や備前焼の販売などもあります。


対岸から・・・。


顔はめ看板


公園の藤


























その他の花達











何かを製作中
  

できたのがこれ!。


野点を楽しむことも出来ます。



藤を堪能したあとは・・・。

和氣神社(和気神社) (わけじんじゃ)



御祭神は、鐸石別命、弟彦王命、和気清麻呂、和気広虫姫命など和気氏一族9祭神。
鐸石別命は垂仁天皇の皇子で、命の曽孫弟彦王が軍功によりこの地に土着し、一族は備前及び美作に栄えました。
弟彦王の12代の孫が和気清麻呂、広虫姉弟であり、ともに朝廷に仕え、清麻呂公は、奈良時代から平安時代の転換期に大きな役割をはたした人物で、なかでも道鏡事件、平安遷都などでの活躍。
広虫姫は戦乱による多くの孤児を養育し、その仁愛慈育の生涯は女性の鏡と称えられました。

鳥居前、拝殿前には全国的にも珍しい狛亥(イノシシ)があります。
これは、猪が清麻呂の宇佐神宮参拝の際に護衛を行ったり、足を患った際に霊泉に案内したとされ、猪は清麻呂の守護とされてきたことに由来します。

ご神徳は足腰・健康の守護、厄除開運・災い除けなど。
わが国最初の孤児院を開設した和気広虫に由来して、安産(子供の守り神)としても敬われています。

また、明治初期に邑久大工・田淵勝義の技をかけて建築された一連の社殿は、和気町指定文化財になっています。

これは、鳥居の前にある狛イノシシ。




イノシシの横には、さざれ石が。


大絵馬

高さ8m、幅10mの日本一の大絵馬。中央にその年の干支を配し、回りは清麻呂公絵巻の絵画をめぐらしています。

随神門

本殿、拝殿に続き、明治28年に造営されました。随身の姿の守護神像を左右に安置した神社の門です。

手水舎


拝殿


現存の建物は、明治18年より順次建替えられ、本殿、幣殿・釣殿・拝殿、随神門が一連の建造物となっています。
門弟60余人を有し、関西一の大棟梁といわれた、
宮大工田淵勝義の手により造営されました。


本殿

明治20年に建替えられました。幣殿、釣殿、拝殿からなります。

天神社(天満宮)

学問成就や、子育ての神として信仰されています。
初宮詣の際、「名付け石」を奉納する慣わしがあります。

狛イノシシ




こちらは、拝殿前に。


絵馬殿


昔より奉納された絵馬が掲げられています。


続いて「閑谷学校」へ寄ります。

説明文は公式ホームページ、パンフレット、ウィキペディアを参考にしました。

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