【折々の花だより】

”季節の花だより”
花たちとの出会いを楽しんでます

白毫寺、五色椿

2016-04-01 | 花だより
3月17日、「五色椿」が咲くという白毫寺へ出かけてきました。
白毫寺は、奈良市街地の東南部、春日山の南に連なる高円山の山麓にあり、境内から奈良盆地が一望できる景勝地に建っています。
奈良町辺りに車を停め、歩くことに。

福智院

南都清冷山、福智院は奈良公園の南端に位置し、
「真言律宗」(総本山 西大寺)に属しています。
もとは興福寺大乗院の地蔵堂で、古来南都における地蔵信仰の
霊場でした。
本尊は地蔵菩薩坐像。
地蔵菩薩を信仰する、あらゆる人々の苦悩を削減し、土地は豊かに、家宅は永安であり、願いは成就するなどの十種の利益と恵みを
与えてもらえるそうです。


福智院の前を通り、南方面へ。

地蔵尊




この辺り(笠屋町)の由来が貼ってありました。



超願寺

法性山 弘誓院「超願寺」(誓願寺末寺)です。浄土宗西山深草派。
本尊は、木像阿弥陀如来立像。
鉈屋長春が天正19年(1591)「鉈屋寺」を(大和郡山市上三橋村に)
建立したのが初め。
宝永2年(1705)に本堂を現在地に移築、明治初年に改称されました。


奈良を歩いていると、所々で見かけます。
鹿、日常生活には、支障があるんですね。


奈良教育大学に沿って東方面へ。

曲がり角、下を見ると

神明地蔵



こちらにもお地蔵様。

大きなしだれ桜がある家の前を通り・・・。

百豪山西勝寺(さいしょうじ)

浄土真宗本願寺派の寺院。本尊は阿弥陀如来立像。
本堂は五間半四方の立派な堂で、内部は朱塗りの柱や蟇股の彫刻等があり、もとは多武峯(妙楽寺)にあった食堂を移築したものと
伝わっています。

西勝寺鼓楼門


宅春日神社

神護景雲2年(768)に春日大社が創祀された直後に最初に末社として
創建されたと伝わります。
奈良時代に、枚岡神社から天児屋根命が春日大社へ勧進される途中に一時休憩された場所という伝承もあるそうです。
祭神は、天児屋根命、比賣神。
末社は、山の神社(大山祇命)。
本殿は明和4年(1767)の造営。

鳥居を入った所に、珍しい角ばった狛犬があります。
   


白毫寺まであと少し。宅春日神社を背に東方面へ。

忘れかけられた薬師如来。



道端にひっそりと、お祀りされています。


見えてきました。百段ほどの自然石の石段を登ります。












振り返ると奈良の景色が。


高円山 白毫寺(こうえんざん びゃくごうじ)
真言律宗の寺院。開基(創立者)は勤操。
大和北部八十八ケ所第六十三番札所。関西花の寺第十八番札所。春の五色椿と秋のハギで名高いお寺です。

本尊は阿弥陀如来坐像。檜材の寄木造で、平安時代末期から鎌倉時代頃の作といわれています。
木造菩薩坐像(伝文殊菩薩)、地蔵菩薩像等、 8体の重要文化財があります。

寺号の「白毫」は、仏の眉間にあり光明を放つという白く細い渦巻状の毛のことです。



本堂




五色椿(奈良県指定天然記念物)



寛永年間に興福寺の塔頭、喜多院から移植したものとされ、樹齢400年を超えているそうです。
東大寺開山堂の糊こぼし・伝香寺の散り椿とともに
「奈良三名椿」の一つです。











モクレンも綺麗に咲いていました。



コブクザクラ (子福桜)




コブクザクラは八重咲きで、花弁数は20~30枚。
花の色は白く、散り際に紅色を帯びる。秋から冬と春の年二回
咲きます。
十月桜(ジュウガツザクラ)と支那実桜(シナミザクラ)の雑種と
考えられているそうです。
和名の由来は、普通八重咲きは結実しにくく、1つの花に複数の雌しべがあるために複数の実をつけることからきています。


万葉歌碑





水仙




タネツケバナ



大椿







不動明王




不動明王に手をあわせ、石仏の道を通り抜けると

十王地蔵

矢田型と呼ばれる右手で印を結ぶ形。
後背に十王の浮彫を配しています。

八重白椿





蝦夷錦(えぞにしき)


他にも・・・








御影堂



宝蔵


閻魔王坐像(重要文化財)

宝蔵に祀られています。(パンフレットより)

閻魔王坐像の前で1月と7月の16日に行われる「えんまもうで」。
えんま様の縁日に無病息災と長寿を祈る行事です。
地獄のふたが開き、鬼も休業となり亡者が苦しみから逃れる日と
されています。


山茱萸(さんしゅゆ)

宝蔵の前に。



白毫寺の文字の順番が違っています。詳しいことは不明。

灯篭

こちらにも、「椿」が彫られています。

御朱印


白毫寺を後にして

鏡神社




拝殿、後方に本殿

本殿は、記録に春日大社第四十七年次式年造替の延享三年(1746年)に、本社本殿の第三殿を鏡神社へ譲渡したとあり、さらに昭和34年の本殿修理中には、屋根裏から「三ノ御殿」の墨書銘が二か所で
発見されています。
春日大社本社の旧本殿(一間社春日造、桧皮葺)であった、鏡神社の本殿は、当初の部材がよく残り、移築の経緯も記録に残っていて
貴重だそうです。

比売神社(ひめがみしゃ)



比売塚と呼ばれる小さな古墳の上に建てられている。鏡神社の摂社。
十市皇女を祭神とし、脇座は市寸嶋比売(いちきしまひめ)。

高さ約2.5m、幅約2mほどの社殿が建てられています。社殿の正面に朱塗りの門があり、中に入ることはできないようになっていますが、社殿に付いている鈴と、その門とがひもで結ばれていて、門前からそのひもを引いて鈴を鳴らすようになっているようです。

神像石

大友皇子・十市皇女から淡海三船までの4代とそれぞれの妃を
祀った石が置かれています。



そのほか、社殿の脇に、良縁を願う人々の絵馬が掛かっています。
その前には小さな石が置かれ、万葉集の
「河の上の斎つ岩群に草むさず 常にもがもな常処女にて」
という歌が彫られています。

北方面へ。高畑町界隈です。



春日山・不空院(しゅんにちざん・ふくういん)

真言律宗の仏教寺院
安置されている不空羂索観音座像は、東大寺・三月堂(法華堂)の立像、興福寺・南円堂の坐像とともに
「三不空羂索観音」といわれているそうです。

縁結びさん、縁きりさん

「縁きり寺」「かけこみ寺」とは、女性の立場が弱かった時代に不幸な縁から逃れ来た女性を受け入れ救済し、
他に異議を言わせぬ特権を有した寺のことです。
結ぶと切るとは表裏一つのこと。縁結びの神様も並んで祀られています。
「結ぶ時には切らねばならぬものがあり、
切ろうとするには新たに結ぶが良い」と。

縁結びの神は、「黒竜大神」「市杵嶋姫大神」。 
縁切りの神は、「法竜大善神」。  

「大乗院寺社雑事記」などの歴史文献には、奈良時代(753年・天平勝宝5年)中国より渡来された鑑真和上が、ここ不空院に
住まわれたとの記述があります。
また平安前期(810-824 弘仁年間)には、弘法大師(空海)が興福寺・南円堂建立の試みとして、鑑真住房跡であるこの地に雛形の八角円堂の建立を提案して願文を書いたと伝わり、これが不空院の始まりといわれているそうですが、定かではないそうです。
八角円堂はこの寺域に確かに建てられ、
不空羂索観音が奉安されたのは事実なようです。


説明は、各公式ホームページ、パンフレットを参考にしました。

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