goo blog サービス終了のお知らせ 

友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

温暖化と親の愛の法則

2015年12月16日 17時43分50秒 | Weblog

 障子の張替えをしたら、部屋が明るくなったばかりか新鮮な感じさえする。障子を通しての光が柔らかく美しいことは驚きの発見だった。韓国映画でも障子戸はよく出てくるが、格子が少し狭いような気がする。ガラスのなかった時代では、外界の寒さを防ぎながら光を通す障子は大変役に立っただろう。障子戸の中とガラス戸の中ではこんなに雰囲気が違うものかと改めて知った。

 12月なのにあまりにも暖かな日々が続いたが、明日からは寒さが厳しくなるという。ワシントンで桜が咲いたり、日本でアブラゼミが羽化したり、温暖なのはうれしいが何となく気味が悪い。地球は熱帯期に入ったのだろうか。氷河期は火山の爆発が続き、太陽光が遮られたためと言われているが、熱帯期は何が原因なのだろう。世界の指導者は地球環境について真剣に取り組もうとしているが、まだ自国の利益が優先されている。

 「親の愛ってエゴじゃーないですか」と長女のダンナは言う。その通りと思う。親が子どもにだけ愛を注ぐのはエゴである。けれども親が自分の子ども以外にも平等に愛を注ごうとしても出来ることではない。自分の家庭、自分の会社、自分の国だけを愛することも同様に仕方のないことだと私も思う。しかし、だからエゴでいいのだとしてしまうと、人の社会は殺伐なものになってしまう。自分の子への思いと同じような気持ちを他にも広げていくことが人の努めと思う。

 働かなくても生活できるなら、誰も働かなくなると言う人がいるがそうだろうか。お金持ちになった人はもうこれでいいとは思わない。お金持ちほどもっと働いてもっと富を得ようとする。働かないために貧しくなった者に手当てする必要はないと言う人は、貧しい人よりも少し暮らしのいい人だ。金持ちから税金を多く取れと言うのは金持ちへの妬みだと言う人もいるが、金持ちは税金を取られたらもっと稼げばいいし、稼ぐためには金が回る必要があり、貧しい人ばかりになっては困ると考える。世の中は不思議だがどうも法則が存在するようだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年賀状

2015年12月15日 18時07分08秒 | Weblog

 年賀状の受付が今日から始まった。年賀状に干支のイラストを描いてきたが、サルの絵がやっと描けたので、年賀状を買いに郵便局へ出かけた。年賀状を出す人よりも私のように買い求める人の方が多いような気がした。サルは私の干支で図案にするとなると難しい。カミさんも私も同じサル年生まれだから、2匹のサルに眼鏡をかけさせてみた。「こんな年寄りにしないで」と早速注文がくるが、72歳になるのだから隠しようがない。

 1970年にイラスト入りの年賀状を作り、翌年は子どもが生まれたのでマンガ風のイラストに変え、毎年子どもの成長を絵で表してきた。子どもが大きくなると「似ていない」と文句が出て、少しリアルなイラストにした。ところが子どもが嫁に行ってしまうと題材に困り、隣に越してきた長女の子どもにも登場してもらった。しかし、還暦からは夫婦だけのイラストにしたが、やはり変化がない。2010年のトラ年から干支のイラストに変えた。

 絵を描かなくなった今では、年賀状のイラストが唯一の作品である。もう少し前から準備にかかり、丹精込めて描き上げようと毎年思うのに全然実行できない。今年はまだ早い方で、どうも切羽詰まらないとやる気が出ない。すると時間に追われるからどうしても「こんなものでどうか」となってしまう。描き出せばそんなに時間はかからないが、ペンにしたり筆にしたり、それなりに工夫を重ねが、今年は工夫ができていない作品になってしまった。

 年賀状を出す人は毎年少なくなっているそうだ。孫娘もそうだけれど、「アケオメ」などとメールで送ってくる。私みたいな昔人間は、年賀状くらい自分で書きたいと思う。そういう私も表の住所はパソコンで印刷している。裏はイラスト以外は白紙なので、1枚1枚万年筆で書いている。「明けましておめでとうございます」だけのものもあれば、いろいろ書き込むものもある。受け取る相手が喜んでくれるならそれくらいのことはしたい。元気なうちは生きている証として続けるつもりだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤穂浪士の討ち入り

2015年12月14日 21時35分10秒 | Weblog

 今日は赤穂浪士の討ち入りの日。実際に屋敷に入ったのは翌日で、前々から吉良邸の動きを探り、相当な準備をして戦いに臨んだようだ。西三河生まれの私にはどうしても吉良上野介が悪い人には思えなかった。吉良の故郷では、川の氾濫に備えて堤防を造り、領地を戦闘用の馬ではない赤馬に乗って視察する名君と称えられている。吉良を悪者にしたのは歌舞伎の「忠臣蔵」だ。私たちの子どもの頃に何度も上映された映画の「忠臣蔵」でも吉良は見るからに悪人だった。

 江戸城内で刀を抜けば家は断絶し領地を取りあがられることは赤穂の若い殿様でも承知していたはずなのに、なぜ吉良に切りかかったのだろう。殿たるものは部下と領地を守ることが務めなのに、結果のことなど考えてもいなかったなら、余りにも浅はかで無責任である。当時は喧嘩両成敗が原則だったから、赤穂だけが切腹させられ吉良が咎められなかったのを不服と思うのも無理ないように思うが、吉良は切られただけで応戦したわけではないから、両成敗とはならなかったのだろう。

 「忠臣蔵」の名前のとおり、赤穂浪士は主人の無念を晴らした忠義者ということだ。武士の時代だから主人に忠誠を尽くすことは最重要だが、刀を振り回す集団の存在は治安の乱れである。江戸幕府としては厳罰で臨むことで、権力の維持を図ったものだろう。それでも、徳川体制の基礎は忠義にあることに変わりはない。武士だけでなく町民や農民まで、忠義が徹底されてこそ体制は保たれた。「忠臣蔵」は矛盾を抱えながら、体制を維持していく為に大いに役立っただろう。

 身分制度はなくなり、職業の制限も移動の制限もなく、発言の自由も保証されている今、宝くじ売り場は長蛇の列である。今日は天がすべての罪を赦す「天赦日」というので、最も幸運が舞い込むと言われている。それならば、宝くじに忠義を尽くそう。買わなければ、幸運はやって来ないのだから、まだ、間に合う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野坂昭如さんが亡くなった

2015年12月13日 17時17分37秒 | Weblog

 作家・野坂昭如さんが亡くなった。テレビ報道で知った時は、「あれ?まだ生きていたのか」という思いだった。このところ何年も話題になっていなかったので、すでに亡くなっていると思っていた。85歳と報じていたから、私とは14歳しか違わず、姉と同じ歳だ。私の野坂さんの印象は、デタラメなことをするいい加減な人である。

 小説では『エロ事師たち』や『四畳半襖の下張』が有名だが、最も知られているのは宮崎駿のアニメ映画になった『火垂るの墓』だろう。私は原作が野坂さんとは知らなかった。もう一つ、『おもちゃのチャチャチャ』の作詞も野坂さんだと知らなかった。私が野坂さんを知ったのは、『黒の舟唄』を歌う姿からだと思う。

 1970年代は世界中で学生たちが実力行使に出ていた。新宿の街を占拠し、ギターの伴奏で『We Shall Over Come』と歌っていた。その反面で、寂しくて戦意高揚にはならない歌も歌われていた。『黒の舟唄』や『赤色エレジー』はそんな代表作ではなかったかと思う。

 『黒の舟唄』は「男と女の間には深くて暗い川がある」で始まるし、『赤色エレジー』は「愛は愛とてなんになる」で始まる。なんともやりきれない。信じたいものが信じきれない。そんな切なさばかりが漂っている。この歌は今も歌えるけれど、根っから暗い。野坂さんは「焼跡闇市派」とか「酔狂連」とかあるいは「野良犬会」と称して、無頼を売りにしていたが本当のところは何がしたかったのだろう。

 選挙にも出たし、国会で質問にも立ったと思うが、それもジャレだったのだろうか。私の本棚の奥に、昭和47年発行の月刊『面白半分』7月号がある。裁判にもなった『四畳半襖の下張』が掲載されている。朝日新聞社の週刊『アエラ』は創刊号から3年分が、残してあったけれど処分したのに、どうしてこの1冊は残したのだろう。『面白半分』の挿絵に興味があって買ったものだったのに‥。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クリスマスの讃美歌

2015年12月12日 17時44分06秒 | Weblog

 もうすぐクリスマス。デパートやスパーマーケットでクリスマス・スソングが流れている。クリスマス・コンサートも開かれ、「もろびとこぞりて」「いつくしみ深き」「神の御子は今宵しも」「荒野の果てに」「きよしこの夜」などが歌われたり、演奏されたりする。こんな懐かしい讃美歌を聞くと、遠い昔を思い出してしまう。

 私は小学校の時にラジオ番組の『ルーテル・アワー』を聞いていて、『アンクル・トムの小屋』を読みますます聖書に興味を持った。中学生になり通学途中にあった教会に通うようになった。初めは中学生は私ひとりだったが、クラスの友だちを誘い、聖書研究会を作って聖書を学ぶようになった。

 降誕祭は厳粛な中にもなぜか心が弾んだ。24日の夜は礼拝の後、教会の大人の人たちと一緒に讃美歌を歌って街を歩いた。高校生の時は自分でシナリオを書いて寸劇もした。『放蕩息子の帰宅』という題だった。放蕩の息子を父親は温かく迎えるという劇で、主である神の御心の広さを示すものだった。私は「赦す」ことに心惹かれていた。

 その時の私は好きな女生徒がいたのに、心惹かれる女生徒もいて、さらに年上の女性には情欲すらあり、「罪」の深さに悩んでいた。そんなことを知らないアメリカ人の牧師は洗礼を受けて、牧師になるようにと勧めてくれた。高校3年の時はベトナム戦争が泥沼化していた。私は牧師に、「なぜ、神は戦争をするのか」と聞いてみたが、牧師は答えてくれなかった。

 それは教会との決別の時だった。大学進学を契機に聖書研究会は解散し、再び訪ねることはなかった。私は信仰に至らなかったけれど、キリストの言葉は覚えている。釈迦の言葉もキリストの言葉も孔子の言葉も、鋭い人間観察に基づいた「教え」だと思っている。クリスマスの讃美歌を聞くと一緒に歌いたくなる。やっぱりいい曲だと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

感情に流される傾向にある

2015年12月11日 18時12分10秒 | Weblog

 昨夜から今日にかけては「冬の嵐」と言うより、「冬の台風」がぴったりする。金色に輝いていた中庭のイチョウやケヤキがすっかり裸になってしまった。その落ち葉がまた、地面を覆い尽くしてキレイだった。スウェーデンでのノーベル賞の授賞式は相変わらず華やかで、どういうわけか微笑ましい。

 岐阜県議会で、元議長を務めた男性議員が「同性愛は異常やぞ」と呟いた。「差別発言」と指摘されると、「壇上での発言なら問題だが、謝罪するようなことではない」と答えていた。「自分の考えを言っただけ」と言う。何を考えようとそれは自由だが、「同性愛は異常」というのであれば、その根拠を示さなければならない。「同性愛者が増えると人口が減る」と話していたが、それは「異常」の説明にはなっていない。

 岐阜県の男性職員もツイッターに「同性愛は異常」と書き込んでいたし、神奈川県海老名市の市会議員も「異常動物」と書き込み、「同性カップル報道」を「異常人間の行動を正当化した倫理観に欠けたもの」と非難していた。ところが市議は同性愛について聞かれると、「よく知らない」と言い、謝罪文を載せているそうだ。非難するならその理由を明らかにしなければならない。でなければ、論戦にならないし問題を掘り下げることも出来ない。

 感情だけで非難し、何も考えずに同調する、そんな傾向が生まれていないだろうか。テロの応酬がまかり通るのも、きわめて感情的だからだ。欧米は「イスラム国」をテロ集団と言う。テロは無差別な殺戮だから、やめさせるためにはテロ集団を壊滅しなければならないと主張する。そうして空爆を続けているが、空爆もテロと同じだ。

 フランスでは軍隊に入る若者が増えている。「イスラム国」をやっつけようという若者たちだ。人は感情に流されやすい。いや、流されるのは心地よいのだ。「イスラム国」の若者も、「イスラム国」をぶっつぶせと叫ぶ若者も、同じ感情に酔っているとしか私には思えない。私の子どもたちやそのダンナたち、そして孫たちが感情に走らない人であって欲しい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

消費税と軽減税率

2015年12月10日 18時37分12秒 | Weblog

 消費税が2017年(平成29年)4月から10%に引き上げられる。8%から10%になるわけだから2%の増なのだが、引き上げられる率よりも、100円の品が110円になることの方がインパクトが強い。1000円なら1100円であり、100万円の品を買う人は10万円も税を払わなければならない。そこで自民党と公明党は生活の直結する生鮮食品に加えて加工食品も軽減税率の対象品目にするか否かで長い間もめてきた。

 「これではイカン」と安倍首相らが動き出し、自民党が譲歩してまとまったようだ。「これではイカン」とは何なのかと言えば、来年の参議院議員選挙に不利になるということだ。税のあり方は、国のあり方でもある基本なのに、選挙に有利か否かで論議されている。安倍首相の頭の中は参議院選挙で勝って、憲法改正を成し遂げたいのだろう。そのためには公明党の協力が絶対不可欠で、財源にこだわる財務官僚系を切り捨てたということだろう。

 中国や韓国に強い姿勢で臨む安倍首相に、「強いリーダー」と心酔する人も結構いる。「維新」が割れて、またもや政党の再編が取り沙汰されてきた。理念も信条も異なる政治家が、こちらもまた当選することだけが目的で一緒になったり離れたりする。憲法第9条を守るか変えるか、その点を基本とする政党であれば国民にもっと分かりやすい。辺野古の問題で、いくつかの地方議会が政府に「基地建設は中止せよ」という意見書を採択している。地方議会の議員も国政の問題に積極的に関与していくことが大切になるだろう。

 今日は風もなく絶好の作業日だったので、ルーフバルコニーで一日中バラの鉢の土を入れ替える。寒くはなかったのに、作業を終えて部屋に戻り、パソコンに向かうと鼻水が出る。もう秋もでもないのに、目がかゆい。「PM2.5のせいではないの」と言う人もいるけれど、気候の変動に過敏な体質が災いしている。それとも年齢のせいなのかな?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こんな堅物見たことない

2015年12月09日 18時05分38秒 | Weblog

 先日の忘年会の話の中で、面白いことに気が付いた。かなりお酒が進み、もう難しい話とはオサラバした時、若い頃の話になった。お酒の席になると、やたらと自分がもてた話を自慢する人がいるが、それはたいてい男性で女性から聞いたことはない。私たちまでの世代は、女性がもてた話をすれば淫乱と蔑まれるのに、男性はまるで勲章のように話す。

 先輩の中には女性の口説き方を伝授してくれる人もいるが、若い頃は結構イケメンと思われる先輩は、「家内以外に心を動かされた女性はいない」と言う。元高校の先生である。悪いことはしていなくても、心が動いてしまった女生徒が必ずいるはずだ。いくら堅物な人でも多少のことはあるだろう。「本当に?」と周りから詰問されても、「本当にそう」と言う。

 その先輩のカミさんは女優になってもいいくらいきれいな女性であるが、だからといって心がカミさん以外に動かないのは合点がいかない。「同じ高校の先生はどうなのよ?」と質問が私に向けられる。残念ながら私は先輩のような聖人ではない。心が動く女性は何人もいた。それで高校生の時、いいなあと思っていた女生徒がいたが、友だちが「オレ、彼女が好きだ。取り持ってくれ」と言われ、その人を諦め仲立ちまでした話をした。

 するともうひとりの先輩が「そういう時代だった」と昔を振り返る。「武者小路実篤や夏目漱石もそんな小説を書いている」。「だったら先に言ってしまえばよかったのでは」と若い人が言うが、「言わないことが美学だったのさ」と語る。まだまだ異性と一緒にいるだけで不良扱いされた時代だった。手をつないで歩きたいと思っても出来なかった。もちろん、一歩先を行く不良気取りもいたが、硬派を自認していた私は出来なかった。

 カミさん以外に心が動いたことはないと言う先輩は国語の先生だ。源氏物語でも江戸文学でも近代文学でも、男女の情愛がテーマなものが多い。どんな風に読み、どんなことを生徒に話していたのだろうかと想像してしまう。いくら進学校の先生でも、「ここは入試に出るぞ」とばかり教えていたとは思えない。世の中にはこんなにも生真面目な人がいると改めて思った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なぜなのだ?

2015年12月08日 18時41分29秒 | Weblog

 宇宙を5年間も彷徨っていた衛星を操作できる人類なのに、憎しみを消すことができないのはどうしてなのだろう。銃乱射事件があったアメリカで、オバマ大統領は「銃規制が必要」と述べていたが、乱射事件が起きる度に銃はますます売れるという。「殺される前に殺す」という開拓時代からの伝統がいまだに受け継がれているのだ。

 ヨーロッパは中道左派が政権の座についている国が多い。ところが中東やアフリカから難民が押し寄せてくると、難民を排除せよと主張する右派・愛国主義政党が国民の支持を伸ばしている。政治が比較的安定しているカナダや北欧はアメリカの政策を全面的には支持していない。ところがアメリカと対立してきたキューバは和解し、左派政権のベネズエラでは経済危機から右派政党が台頭してきている。

 富の分配に積極的な社会民主党のような中道・左派が世界の政治の主導になるのかと思っていたが、人の心はよく分からない。ヨーロッパから自由と理想を求めてアメリカに渡ってきた人々も、土着民を追い払うか殺してしまった。移民の国でありながら、権益が生まれると黒人やアジア人・中南米人を排斥したり権利を制限する。アメリカには人権は存在しないようだ。

 人類は欲望というセオリーを負っているのかも知れない。アメリカを中心とする有志連合が「イスラム国」を空爆する。空爆は誤爆も多い。アフガンでは病院を、シリアではシリア軍を爆撃している。「イスラム国」はパリやロンドンなどの都市で自爆テロを行い、有志連合は空から爆弾を投下する空爆テロだ。

 「殺される前に殺す」。こうした考えを否定しなければ平和にはならないだろう。銃も核も兵器であり、廃絶しない限りどこかで使われるし、相手が持っている限り自衛のためには必要と考えるだろう。私は「右の頬を打たれたら、左の頬を出しなさい」というキリストの言葉を知った時、キリスト教が広まれば世界は平和になると思った。あれから60年も経つのに、世界は一向に変わる様子はない。なぜなのだ?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大切なこと、大切なもの

2015年12月07日 18時06分14秒 | Weblog

 昨夜の忘年会は盛り上がった。それもそのはず、この頃よくテレビに出演している政治学者、姜尚中さんが北名古屋市に来てくれることが確定した。仲介に走り回ってくれた女性のおかげだ。「大和塾の最後の市民講座にふさわしい」「よく、こんな有名人を連れて来ることが出来たね」とみんな大喜びだった。大和塾は平成18年に発足したから、来年でちょうど10周年になる。10周年・第50回で閉じることを目指してきたから、実際にそうなることがはっきりして歓喜となったのだ。

 「市民が企画し、市民が運営する、市民講座」をとうとう10年、50回もやって来たのかと思う。しんどいことはなかったが、やはりここが区切りだろう。それにしても、姜尚中さんが来てくれるとなると、うれしい反面で準備が大変だ。わが市で一番大きな会場を確保しなければならないし、一体いくら必要なのかも不安だ。いや、絶対、私たちがやって来たこと、市民だけで講座を50回も続けてきた例は全国にも無いだろうから、そこを姜尚中さんが意気に感じてくれれば、無理な講師料にはならないだろう。

 それでも、有名人が来てくれるのに恥ずかしいことも出来ない。ここはみんなで知恵を絞ろうと話し合った。「入場料を取る」。「協賛企業から寄付を募る」。そんな案も出たが、代表である会の呼びかけ人の奥さんは「それはやめて」と言われる。これまで費用のすべてを奥さんに頼って来た。これ以上の負担は酷である。にもかかわらず、「これまで通り、入場は無料で。協賛企業を募るのは50回が終わり、解散してからに」と言われる。大和塾が発足して1年にならないうちにご主人を亡くし、それでも「主人の意志だから」と代表を務め、資金を提供し続けてきた。

 ここは私たちが踏ん張る番だ。なんとしてでも、やり遂げよう。第50回市民講座を姜尚中さんで盛大に盛り上げよう。私たちに出来る努力を全て尽くして、納得のいくものにしよう。会場の確保と費用のめど、そしてどんな市民講座にしていくのか、細かい点を詰めていこう。私にとってもこれが最後の奉仕になる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする