年老いた男が恋した女を訪ね歩く物語など恰好悪い。無くなった時間は取り返せないのに、いつまでも未練がましい。終わったことを振り返るよりも、新しいことに向かう方がいいのに、どうしていつまでも過去に戻ろうとするのだろう。一説によると、女は昔の男を忘れられるが、男はいつまでも思い出すという。
男が10代の時、「あなたが好きなのは、あなたが作り上げた私なのよ。きっとあなたにふさわしい女性に出会うわよ。さようなら」と初恋の女性に告げられた。5年間も思い詰めていた初恋はあっけなく終わってしまった。30代になった男は、偶然にも街で女を見かけた。女は結婚して東京住まいだったから、偶然の再会に驚き喜んだ。
女は離婚し実家に戻っていた。「僕たちはどうしてうまくいかなかったのだろう?」。男は女からの甘い言葉を期待して声をかけた。大人になったのだから、燃えるような恋をしてもいい、家庭を捨てても構わない、そこまで思い詰めていた。「そういう運命にあったのよ。じゃーね、さようなら」と女は去って行った。
40代になった男はますます仕事が面白くなった。やることなすこと見事に当たった。取引先に有能な女性管理職がいた。てきぱきと仕事をこなし、社長の信頼も厚かった。幾度か一緒に食事をする機会に恵まれ、趣味や好みが似ていたこともあり、仕事以外に付き合うようになった。音楽会や美術館巡りから1泊旅行に行くこともあった。7年ほどして、「いろいろありがとう。今度、夫の転勤でアメリカへ行くことになったの。元気でね、さようなら」。
ギリシア悲劇に悪い人はいない。なのに、どうしようもなく最悪な事態へ展開していく。男は妻に、「どうして結婚した?」と聞いた。すると彼女は「他にいなかったからよ」と言う。そんなものなのかも知れない。そういう運命だったのだろう。人生は終わってみなければ分からない。まだ、結論が出たわけではない。前を向いていたいと男は思う。