猛暑が続いている。こんなに暑い中で学校のグランドでは、午前中は少年たちのサッカークラブが、そして午後からは少年野球チームが練習をしていた。「もっと大きい声を出せ」「モタモタするな」「走れ、もっと走れ」「デレッとしてるんじゃーねえ。気張っていけ」とコーチから激が飛ぶ。よくまあ、こんな暑さの中で大声をあげてやっていられるものだと感心してしまう。高校野球の地方大会が各地で行われている。グランドで試合をする選手は文字通り汗まみれだろうけれど、スタンドで応援する生徒たちも蒸し風呂の中と同じだろう。それでも不思議に暑さなど感じないくらいに熱中してしまうのはなぜだろう。
私たちくらいの歳になると、暑さの中は本当に弱い。だから、建物の中にいて静かにテレビなど見ているのが一番よいのだろうけれど、どうしたことか今日は井戸掘りだった。依頼主の方は「少しでも早く掘って欲しい」と言われるが、メンバーが揃うのは土日しかなくて、今日になってしまった。先回掘った時は指定された場所が狭すぎて、しかも昔の川原なのか丸い石が敷き詰めたように並んでいたので掘れなかった。そこで今日は2メートル四方ほどの広さのあるところに場所を変えて掘ることになった。
暑いから朝早くから作業に取り掛かったけれど、2メートル四方の穴を掘るとなるとやはり時間がかかった。1メートル50センチほどの深さに達したところでスコップが入らない。やはり丸い石がビッシリと敷き詰められたように並んでいる。これらを1つひとつ手作業で掘り出してバケツに入れて穴の外へ出す。根気の要る仕事だ。早くやろうとか簡単にやろうとしても出来ない作業だ。やれるところまでやってみようと1メートル70センチまで掘って今日の作業を終えた。この層がどれくらいの深さまであるのか、不安がよぎるけれど、手作業で掘るしか方法はない。
年寄りが汗を流しながらやる力仕事は限界がある。作業に入る前から午前中で終わると決めておいたから、気分が悪くなる人もなく無事に終わることが出来た。仕事を成し遂げることよりもみんなが何事もなく作業を終えることが出来る方を重んじるのも老いた私たちだから出来ることだ。今、労働のあり方が問われている。若い人たちが大学は出たけれど働く場所がなく、20代でも生活保護を受けている人さえもいるらしい。こんな社会はおかしい。昔から働き手は10代から50代までくらいだったはずだ。この年代の人が働き、まだ幼い子どもや年老いた人たちを食わせてきた。
働ける人々が生み出す富をみんなで分配してきたのだ。それは今も変わらないから、働ける人々が偏っているということなのだろう。富は働く人の数とその労働時間を懸け算したものだ。だから富を働く人の数で割れば労働時間になる。多くの人が働けば当然にも労働時間は短くてすむはずだ。私たち年寄りは働くことの喜びを求めて働いているが、労働は本来そういうものであったと思う。ものが出来ることに喜びを感じる遺伝子を人間は持っているのだろう。これからは若い人たちが働ける社会にしていかなくてはならないだろう。それが本来の社会の姿なのだから。
私たちくらいの歳になると、暑さの中は本当に弱い。だから、建物の中にいて静かにテレビなど見ているのが一番よいのだろうけれど、どうしたことか今日は井戸掘りだった。依頼主の方は「少しでも早く掘って欲しい」と言われるが、メンバーが揃うのは土日しかなくて、今日になってしまった。先回掘った時は指定された場所が狭すぎて、しかも昔の川原なのか丸い石が敷き詰めたように並んでいたので掘れなかった。そこで今日は2メートル四方ほどの広さのあるところに場所を変えて掘ることになった。
暑いから朝早くから作業に取り掛かったけれど、2メートル四方の穴を掘るとなるとやはり時間がかかった。1メートル50センチほどの深さに達したところでスコップが入らない。やはり丸い石がビッシリと敷き詰められたように並んでいる。これらを1つひとつ手作業で掘り出してバケツに入れて穴の外へ出す。根気の要る仕事だ。早くやろうとか簡単にやろうとしても出来ない作業だ。やれるところまでやってみようと1メートル70センチまで掘って今日の作業を終えた。この層がどれくらいの深さまであるのか、不安がよぎるけれど、手作業で掘るしか方法はない。
年寄りが汗を流しながらやる力仕事は限界がある。作業に入る前から午前中で終わると決めておいたから、気分が悪くなる人もなく無事に終わることが出来た。仕事を成し遂げることよりもみんなが何事もなく作業を終えることが出来る方を重んじるのも老いた私たちだから出来ることだ。今、労働のあり方が問われている。若い人たちが大学は出たけれど働く場所がなく、20代でも生活保護を受けている人さえもいるらしい。こんな社会はおかしい。昔から働き手は10代から50代までくらいだったはずだ。この年代の人が働き、まだ幼い子どもや年老いた人たちを食わせてきた。
働ける人々が生み出す富をみんなで分配してきたのだ。それは今も変わらないから、働ける人々が偏っているということなのだろう。富は働く人の数とその労働時間を懸け算したものだ。だから富を働く人の数で割れば労働時間になる。多くの人が働けば当然にも労働時間は短くてすむはずだ。私たち年寄りは働くことの喜びを求めて働いているが、労働は本来そういうものであったと思う。ものが出来ることに喜びを感じる遺伝子を人間は持っているのだろう。これからは若い人たちが働ける社会にしていかなくてはならないだろう。それが本来の社会の姿なのだから。