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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

音楽の不思議な力

2011年07月04日 19時27分59秒 | Weblog
 ドレスデン・フィルハーモニー弦楽三重奏団の演奏会に誘われて行って来た。バッハの先生と言われるアルブレヒツベルガーやハイドンといった古典が主だった。最後に演奏したベートーヴェンの作品はちょっと歌謡曲のようなメロディーのように思えた。音楽というのは最も古い形の芸術だけれど、音によって「よかった」とか「よくなかった」とか、そんな風に人は感じるのだから不思議な気がする。音楽はあくまでも人が作り出した音の連続である。そんな音で癒されるのは、人間がそんな風に出来ているということなのだろう。

 初めは打楽器のようなリズムだけだったのかも知れない。管や弦を利用した楽器が生まれ、表現力は格段と進歩したのだろうけれど、音を連続的に作り出していくことに変わりない。そんな音のつながりを耳にすると格別な気持ちになるのだから不思議であるし、面白いと思う。楽器が演奏できたなら、歌うことが上手なら、世界中どこへでも旅が出来る。言葉は通じなくても、音は万国共通だから、必ず耳を傾けてくれる。食事や寝る場所も提供してくれるだろう。音には悲しい音や嬉しい音がある。これも不思議だと思う。

 歌は言葉だけれど、言葉の意味は判らなくても音から想像できる。音楽は凄い力を持っている。古代から存在した芸術、もちろんそれを芸術とは思っていなかったとしても、音楽や絵画は最も古いものだろう。舞踊や物語や詩も区別できないくらい古くから存在したと考えられる。人はこの世に誕生し共同生活を始める頃から、これらの表現を編み出して来たのだろう。言葉は最も正確な伝達手段であったがために、限られた地域で急速に発達したと思う。音楽もまた地域性を持つようになっていくけれど、共通の部分を多く残していた。今日ではむしろ言葉を越えて人々が共有できるものになっている。

 長女のダンナの家は、お父さんを初めとしてみんな音楽好きだ。ダンナの上の姉は歌を、下の姉はパイプオルガンを、そのつれあいはトローンボーンを演奏する。お父さんの弟もクラリネットが出来る。皆が集まればちょっとした楽団になる。音楽を愛するということはそれだけコミュニケーッション能力が高いということなのだろう。昨日の誕生日会の席で、長女のダンナが即興でピアノを弾いたので、お店の人は演奏家と思ったようだ。冗談でいいのだから「サインでもしてあげたら」と私が叫ぶと、「そういうことを言うものではないです」ときつい言葉がカミさんから飛んで来た。

 11月3日に、大和塾は設立5周年を記念して、ひとりオペラ『異聞道成寺縁起』を上演する。ソプラノと琴・尺八による画期的な演奏会である。道成寺は能や歌舞伎や浄瑠璃で馴染みのものだけれど、これを和楽器の演奏とソプラノで聴かせる演奏会は圧巻である。歌ってくださるのは中川洋子・愛知教育大学教授で、音楽の楽しさについてお話もしていただく予定である。
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