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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

名演『しのだづま考』

2011年07月14日 21時26分59秒 | Weblog
 名古屋演劇鑑賞会の例会で『しのだづま考』を見た。会場はいつもの市民会館とは違ってナディアパークにあるアートピアホールだった。市民会館よりも狭いけれど見やすいのがいい。以前、『エノケン』を演じた中西和久さんによるひとり芝居である。中西さんが多芸に秀でた人であることはよくわかったけれど、序幕は眠かった。三味線を弾く、障子に字は書く、歌舞伎の演技はする、女になるし狐にもなる、子どもの声も出すなどビックリするほど芸達者だ。

 『しのだづま』は歌舞伎や浄瑠璃でも演じられるものだが、どんな話なのかは知らなかった。平安時代の陰陽師、安倍晴明の物語である。信太(しのだ)の森で狐を助けた保名(晴明の父親)は美しい娘と恋に落ち、子どもを授かって幸せに暮らしていた。助けられた狐は恩返ししたくて娘姿に化けていたのだった。ところが狐の姿を我が子に見られてしまい、泣く泣く元の棲家へと帰っていくのだが、可愛い我が子に超能力を与えていく。この超能力が陰陽師の力となって晴明は出世していく。

 出世すれば当然これを妬む者がいる。政敵というかライバルというか、同じ陰陽師同士の対決が歌舞伎や浄瑠璃の見所なのかもしれない。芝居はどうしても善悪がハッキリしていて、善が最後に悪に勝つことになっている。それは見る者が喜ぶからだ。善が必ずしも勝利しない現実社会にいる観客は、善の勝利でウサ晴らしが出来る。悪がはびこることが許されるのは現実だけでたくさんだと思っているのかも知れない。だから勧善懲悪は芝居の真骨頂だった。私の子どもの頃は映画も同様で、時代劇なら映画を観ながら拍手まで起こった。西部劇も全く同じだったが、拍手がなかったのはテンポの違いだったかも知れない。

 マンガは子ども向けが圧倒的だったからやはり善と悪との戦いが主だった。しかし、善が必ず勝利するとは限らないというストーリーのマンガが生まれたのは何時だったのだろう。私の記憶では白土三平氏の『サスケ』だったか、ジョージ秋山氏の『銭ゲバ』だったような気がするが定かではない。60年安保闘争の敗北感から、勧善懲悪なんかクソ食らえというリアリズムに徹したものが出て来た。ヨーロッパの映画は第2次世界大戦の直後から、夢よりも現実を直視するようなリアリズムを貫いたものがあった。アメリカ映画がアメリカ軍の勝利を歌っていた時に、フランスやイタリアでは日常を写実的に描くことで本当の姿を見ようとしていたのだ。

 芝居でも映画でも、単なる作り物では観る側は満足しない。それだけ観客のレベルは高くなってきていると思う。人は何を考えてどう動いているのか、社会の中では理想と現実はどのように絡み合いそして流れていくのか、理想を追うことは善と言い切れるのか、悪はなぜ存在するのか、そんな諸々のことを真正面から取り組もうとする作品が多くなった。芸術が絶えないのはそのためだろう。それで、単に技術だけが売りのような芸術は次第に廃れていってしまうのではないだろうか。いやまだ、技術は表現の手段として生き残っていくのかも知れない。
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