七夕だが、雨が降っている。雨は朝から降り続いている。昨日までの暑さがウソのように今日は涼しい。それでもどういうわけか、七夕に雨降りはかわいそうな気がする。1年に1回しか会えない恋では寂しすぎる。恋している時は、1日でも早く会いたいし1分でも長く一緒にいたいと思うものだ。それにしても不思議だなと思うのは、この地球上に60億人もの人がいるのに、恋に落ちる人はわずかでしかないし、結婚するとなればたったひとりでしかない。
だから、出会った人こそが運命の人なのだ。いや、まだ他にいるはずと思うかも知れないが、恋した人こそが最愛の相手と考えた方がロマンチックというものだ。七夕のふたりは1年に1回しか会えないから、相手をより愛しく思うことだろうし、しっかりと逢瀬を楽しんでいるはずだ。大人の男女なら当然のことだろう。先日の孫娘の誕生日会で、長女のダンナのお姉さん夫婦が「みんなで写真を撮るよ」と言う時に、手をつないでいるのを見て微笑ましく思った。我が家の次女はあんな風にダンナに甘えているだろうかとも思ったりした。
お姉さんはダンナのお皿に刺身を取ってあげたり、ダンナの方もシャコをむいてあげたり、そんなさりげない仕草がふたりの間の熱さを物語っていた。ところで、今日の新聞を見て驚いた。会社を思いやる気持ちは大事だけれど、思いが強すぎると自分の行為が客観的に見えなくなることを現していた。九州電力のやらせメールである。会社が何らかの事情で、社員やその関連会社を使って、世論作りをすることはある。選挙では会社を挙げて特定の候補者に投票を依頼することはよくある。会社は自分の利益のためならば何でもやる。
佐賀県の玄海原発の運転再開について国が行った説明会において、再開賛成のメールを国民の立場から送るようにという依頼を下請けなどの各社に送ったのは、依頼の文面にもあるように「万難を排してその対応に当たることが重要」だったからだ。九電が運転再開と言ったのでは誰も信じないが、市民の意見ならば通るという読みだろう。メールの過半数が運転再開に賛成するものだったとあれば、みんなが反対ではなくて賛成の人が多いと思ってしまうだろう。知事選挙などは投票率が低くて30%を割っているところもある。それでも過半数を得たから当選であるが、実際は有権者の15%の支持しかない。
九電は再開賛成のメールが多く寄せられれば、世間はそれで納得すると考えたかも知れないし、会社思いの幹部が勝手にそう思ってやったのかも知れない。謝罪の席で社長は「誰がやったのかは問題ではない」と言っていたのに、社員からメモを送られてからは「私はそんな命令を出していない。社員の誰かがやった」と言う。本気で申し訳ないことをしたと思うのであれば、「誰がやったか」ではなく、やってしまった会社の体質にメスを入れるべきだろう。誰かに責任を押し付け、幹部の温存を図ろうという姑息さは情けない限りだ。
好きな人が罪人であってもそれはいい。わざわざ罪人ですと言うことはないけれど、ウソを言う必要はない。自分が好きな人こそが世界一だと思い込むのは勝手だが、他人にも強要することは間違っている。好きなのは自分だけでいいじゃーないか。
だから、出会った人こそが運命の人なのだ。いや、まだ他にいるはずと思うかも知れないが、恋した人こそが最愛の相手と考えた方がロマンチックというものだ。七夕のふたりは1年に1回しか会えないから、相手をより愛しく思うことだろうし、しっかりと逢瀬を楽しんでいるはずだ。大人の男女なら当然のことだろう。先日の孫娘の誕生日会で、長女のダンナのお姉さん夫婦が「みんなで写真を撮るよ」と言う時に、手をつないでいるのを見て微笑ましく思った。我が家の次女はあんな風にダンナに甘えているだろうかとも思ったりした。
お姉さんはダンナのお皿に刺身を取ってあげたり、ダンナの方もシャコをむいてあげたり、そんなさりげない仕草がふたりの間の熱さを物語っていた。ところで、今日の新聞を見て驚いた。会社を思いやる気持ちは大事だけれど、思いが強すぎると自分の行為が客観的に見えなくなることを現していた。九州電力のやらせメールである。会社が何らかの事情で、社員やその関連会社を使って、世論作りをすることはある。選挙では会社を挙げて特定の候補者に投票を依頼することはよくある。会社は自分の利益のためならば何でもやる。
佐賀県の玄海原発の運転再開について国が行った説明会において、再開賛成のメールを国民の立場から送るようにという依頼を下請けなどの各社に送ったのは、依頼の文面にもあるように「万難を排してその対応に当たることが重要」だったからだ。九電が運転再開と言ったのでは誰も信じないが、市民の意見ならば通るという読みだろう。メールの過半数が運転再開に賛成するものだったとあれば、みんなが反対ではなくて賛成の人が多いと思ってしまうだろう。知事選挙などは投票率が低くて30%を割っているところもある。それでも過半数を得たから当選であるが、実際は有権者の15%の支持しかない。
九電は再開賛成のメールが多く寄せられれば、世間はそれで納得すると考えたかも知れないし、会社思いの幹部が勝手にそう思ってやったのかも知れない。謝罪の席で社長は「誰がやったのかは問題ではない」と言っていたのに、社員からメモを送られてからは「私はそんな命令を出していない。社員の誰かがやった」と言う。本気で申し訳ないことをしたと思うのであれば、「誰がやったか」ではなく、やってしまった会社の体質にメスを入れるべきだろう。誰かに責任を押し付け、幹部の温存を図ろうという姑息さは情けない限りだ。
好きな人が罪人であってもそれはいい。わざわざ罪人ですと言うことはないけれど、ウソを言う必要はない。自分が好きな人こそが世界一だと思い込むのは勝手だが、他人にも強要することは間違っている。好きなのは自分だけでいいじゃーないか。