友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

困った人

2010年03月21日 22時14分38秒 | Weblog
 人間には、真面目な人と不真面目な人の2種類があると思っていたが、そうではないようだ。一生懸命になるタイプとならないタイプの2種類とも言えるし、支配したがるタイプとそんなことに関心のないタイプの2種類とも言える。そんな風に書いてきたら、結局は人間はいろんなタイプがあるということなのだという結論に至った。

 真面目の人の中にも、一生懸命ではない人もいるし、支配されるのが嫌な人もいる。分類しだせばきりがないくらい、人間というものはややこやしいもののようだ。私自身も自分がどんな人間なのか、客観的には判断できない。人は私をどのように見ていてくれるのか、一度聞いてみたいとは思っているのだが、それを怖いと思う自分も存在する。

 選挙のようなきわめて特殊なギリギリのところでは、時々思わぬ情景を見せ付けられることがある。それは認識を超えたというか、自分が知っていた他人とは違う面を見せ付けられた時だ。また逆に、普通なら逆上してしまいそうな状況に置かれているのに、全く動揺することもなく、淡々としている人もいれば、日頃は冷静沈着だと思っていた人が全く人が違うような言動に出る人もいる。

 選挙で一番困るのは、とにかく何でも自分で仕切りたがる人だ。自分が全てを背負っていると思っているので、その責任感から何でも知っておきたい、つまり自分が知らないようなことがあると無性に腹が立ってしまう人だ。どうしてもっと鷹揚な対応が出来ないのかなと思うけれど、自分の意に反することは絶対に許せないのだ。だから、つい口に出して文句を言うことになるのだが、そうすることがどれほど内部分裂の引き金になっているのか、わかっていない。

 どんな事態が生まれてこようが、笑って受け止められる人は立派だ。まず事態を受け止め、それで傷ついた人を真っ先にいたわり、事態の原因を見極め、人々が傷つかないように配慮できる人は優秀な人だと思う。人は誰でも自分は可愛いけれど、相手を思いやるほどの余裕を持っていない。リーダーとなる人間は、だからこそ懐が深くなくては役立てないということだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

民主党国会議員の政策作り

2010年03月20日 23時05分01秒 | Weblog
 民主党は18日、「国民は小沢さんが不起訴になったから全部シロとは思っていない」などや「秘書が3人も逮捕されながら、何もないでいいのか」と、小沢一郎幹事長らの執行部を批判した生方幸夫副幹事長を解任した。高嶋良充筆頭副幹事長は自発的な辞任を求めたが、生方氏が「辞める理由がない」と拒否したため、生方氏を除く副幹事長で協議し、解任を決めたと述べていた。民主党らしい処分の仕方ではあるけれど、やはり自民党と変わらない体質なのだと思った。

 今日も、「無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク」について話したが、これからの政治では党議拘束のない政党が必要になってくると思う。組織がうまく機能するためには、中央集権体制なのだろうが、中央集権ではない組織形態があってもいいのではないかと私は思っている。具体的にはどういう組織なのかと問われそうであるが、まだ誰もが見たことのない組織ならばどう言ったらよいのか分からない。

 革命的な組織であっても組織と言えば、どうしても中央集権的な組織しかない。そうなると、たとえば後輩よりも先輩の方が重きを置かれるし、中学卒業者よりも大学卒業者の方が発言権は強い。いや平等だと言うかもしれないが、現実は知識という点では大卒者の方が中卒者よりも重きを置かれている。革命的な党派が、何かについて議論したとしても、活動歴や学歴の高い方が正しいように思われてしまう。たかが、小さな革命的な組織でもそうなのだから、ましてや大きな組織になればますますその傾向は強まるであろう。

 自由闊達に意見が言える組織は結局は存在しないのかもしれない。それでも、それに近づくことは出来ると信じている。私たちの「無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク」は、互いの議論は活発に行なうけれど、だからといって誰かが誰かを論破しても、それでその意見が正しいとは考えない。いやむしろ、議論しても賛否で結論を問わないことにしている。みんなが一致することは組織としてアピールしてもいいけれど、少数意見を無視してアピールするようなことはしない。

 民主党は、執行部を批判する人々を受け入れないと言うなら、もうそれ以上だけで何の魅力もない。私たち「無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク」は政党と違って、何をどこでしゃべろうと自由にしている。民主党は党外に向けて発言したから気に食わないと言う受けれど、それを認めるくらいの度量があって欲しかった。今度の一件で、ますます民主党へ人々の期待は裏切られたことになる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オリンピックの歌7つ

2010年03月19日 23時40分09秒 | Weblog
 金曜日は短歌教室の日である。ところが近頃は、なかなかじっくりと机に向かう時間がなくて、思うように作品が作れない。フトンに入って頭に浮んだ歌があり、これは面白いと思っていざ文字に書きとめようとすると、「あれ?なんだったけ」と思い出せない。今日も締め切りまで後1時間というのに、出入りがあって落ち着いて考えられない。思い切って隣の喫茶店に駆け込み、575‥と数えながら作るハメになった。そんなオリンピックの歌は次のとおり。

 1)今日もまた「メダル届かず」と報じをり 欲しけりゃやるぞブリキのメダル
 2)競技よりメダルの数が大事なの 国威示せと煽るマスコミ
 3)限界に挑むことこそ祭典の 美なれば国旗不要となるなり
 4)国の顔捨てなばさらに伸びやかに 技の祭典見らるるものを
 5)国中の声援受けて銀盤に 舞うキム・ヨナは輝きてをり
 6)銀盤の競演にただ涙する 金銀銅の差など有りしか
 7)障害があると思へぬ大滑走 拍手も忘れ涙してをり

 先生は「こういう考えもあるという作者の思いがよく出ている」とおっしゃってくださったが、帰りがけに「これを貸してあげる」と1冊の雑誌を差し出された。『正論』4月号である。タイトルは「左翼ファシズムに奪われた日本」とある。時々、「日本は中国の属州になる」とかおっしゃる先生だから、「国旗など不要」という私を教育しておかなければと思ってみえたのかもしれない。

 アメリカや中国が世界を一つの国にするならすればそれもいいと私は思う。生きられないよりもみんなで生きられる方向へ進む方がいい。国が支配するといえば抽象的だけれど、国を支配したがる実体としての人々がいるわけで、それらの人々が何を目指しているのか分からないけれど、人類を全て抹殺するわけではあるまい。支配される人がいなくては支配する人も存在できないのだから。

 こんな硬い歌ばかりではつまらないからと次の歌も作ってみた。
 1)チューリップ・桜のつぼみ膨らみて 春きたりけりもうすぐ会える
 2)窓外に冬の薔薇咲くレストラン 春待つように小鳥飛び来る
 3)歓びと儚きものは老いらくの 恋と描きし夢物語りなり
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リーダーの条件

2010年03月17日 22時17分57秒 | Weblog
 鳩山邦夫さんが自民党を離党したことがニュースになっている。これで離党は5度目だそうだ。新党結成を目指しているそうだけれど、当てにされている与謝野馨さんや舛添要一さん、平沼赳夫さんは今のところ動く気配はないようだ。鳩山邦夫さんの言動を見ればとてもこの人と一緒にやろうとは思わないが、ご自身は坂本龍馬になるようなつもりだからおかしい。

 鳩山邦夫さんはリーダーにはなれないタイプだろう。リーダーになる人はみんなから信頼されなければならないわけで、信頼されるとは尊敬されると同義語だと思う。同じ歳であったりあるいは年下であれば、尊敬という表現はちょっと重すぎるが、信頼ならば余計なものはないような気がする。

 とてもよく気がつく人で、いつもガミガミと怒鳴っているような人も上に立てない。「あなたはこれをやり遂げたのか」と詰問できても、そうすることで怠けている部下を叱咤激励しているつもりでも、おそらく部下は尊敬も信頼もしないだろう。確かに、欠点を見抜く力はあるけれど、誰もが自分の欠点を指摘されたからといって、指摘した人を尊敬することにはならない。

 「何をやっているのやら」と皮肉を言われても、それは皮肉でしかないから、次からは皮肉を言われないように努力はするかも知れないが、それ以上の力を発揮することはないだろう。部下はよく観察していて、「じゃあ、あなたはどれほどのことが出来るのか、見せてくださいよ」と心の中で思っている。それを口に出せばケンカになってしまうし、ケンカしたところで理解できるような相手ではないと知っている。

 「もっときちんとやって」とヒステリーを起こす前に、自分を謙虚に見つめたらどうだろうと書き出して、そういうことが出来る人なら、とっくにみんなの信頼を得ているよなと思った。一緒にやっていると、時にはぐちゃぐちゃになってしまうことがある。それはうまくないし、そうならないために原因を見極め、手直ししなくてはならない。けれども、そういう時になぜか自分だけが上に立ってみんなを怒鳴りつけている。

 まず、自分もみんなと一緒にやってみることが大切だと思う。自分が体験もしていなくて、人の欠点ばかりを上げても改善は出来ないだろう。そんなことよりも、やはり人は褒めて使うのが上に立つ者の務めだと思う。失敗や欠点ばかりあげてなじられても、それでじゃあ頑張りましょうという気にはなれない。みんなが心を一つにしてこそ、大きな力が発揮できる。

 リーダーになる人は、みんなの心が一つになれるように導くことのできる魅力を備えていなくてはならないだろう。組織が組織として機能するのはそういう時だと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

公務員はどこまでやれるのか?

2010年03月16日 22時28分04秒 | Weblog
 事務所にいると実にいろいろな人がやってくる。熱心な人は何度も何度も来訪する。その度に同じ話をされるのだけれど、おそらくご本人は気付いてはいないと思う。そんな人たちに捕まって、1時間も時には2時間近くも、話を聞くことになる。こういう人の相手は誰もがいやだから、自然に私が相手をすることになる。繰り返し同じ話をされるのは、それだけ思いが強いのだろう。話を聞いていると、共通することに気が付いた。

 それは「行政が何もしてくれない」という不満である。もちろん、何もしてくれないという不満の中身には、答えるものが難しいものもある。教育の問題は一つの自治体」で解決できるようなものではないことが多いし、行政が教育の中身にかかわることは越権行為でもある。水道料金が高いことは事実であるが、これを引き下げることは、たとえいくつかの自治体で組合を作って運営していたとしても、条例を提案することで解決は出来る。

 環境のことも、介護支援のことも、条例を設けたりシステムをつくったりして、解決に向けて進めることは出来る。下水道料金が高くなるのではと心配していることについても、現状と先の見通しを細かくきちんと説明すれば、不安を解消することは出来るだろう。個々の問題について、結局は担当者がどれだけ丁寧に心を込めて説明するかにあるように思う。不満を抱く人々の多くは、担当者の説明不足からといってもよいくらいだ。特に、しつこいくらいに、当局の担当を非難する人はそれだけ嫌な思いをさせられてきたということなのだろう。

 ほんの少しの気遣いが相手には嬉しいものなのだ。ところが役人の世界では、どうしても相談を受ける側は許可を与える側でもあるので、「与えてやる」という意識が働くようだ。「お世話になった」と言う時は、「やってやる」という意識は「やってやったのではないか」という意識へと変わる。役人は誰もが住民に取って代わって仕事をしているという意識がだんだんとなくなっていく。自分たちがやっていることは、無知な住民には理解できないことだと思い込んでいる。役人は年を重ねるほど、「やってやる」という意識が強くなるように思う。

 江戸時代から、いやもっと以前の律令制の時代から、人間には支配される人と支配する人がいた。支配する側の人間は、自分たちこそが時代の先を見据えて、人々のために働いていると錯覚しているし、時には権力を使って、不満を抱く人々を押さえ込んできた。支配される側の人間も、上手にやって自分たちの利益を確保して、自分たちだけの利益を優先させようとして、権力に擦り寄ってきた。こうして馬鹿げた構図が完全と出来上がってしまった。

 しかし、自分が当事者になってみると、様々な不都合が見えてくる。日本は民主主義国家だと言いながら、その実体は一部の特権が実行支配している。「これについて説明して欲しい」と当局に願い出ても、「まだ、計画中だから」とか「議会で審議されてからしか発表できない」とか、質問した人が嫌になるような回答しかよこさない。「行政は市民のためにあるので、説明は果している」といったトンチンカンな回答しか出てこない。たとえ、どんな些細な質問や疑問であっても、誠意をつくして答えていくのが公務員の役割である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

井戸掘りと高校入試

2010年03月15日 23時05分00秒 | Weblog
 春めいてきたのに、何時までも巣穴に篭っていてはいけないと、先日、今年初めての井戸掘りに挑戦した。実は内心では不安と期待の複雑な気持ちだった。何しろ、昨年は秋頃から、掘るところは全て水が出なかった。今年最初の井戸掘りが再び水が出なかったならという不安と、この地域では以前にも掘った経験があり、水は出るという安心とが混ざっていた。それでも、水は出るはずだというリーダーの言葉に期待し、作業を開始した。作業を始めた頃は、絶対に水が出るだろうという気持ちから、ゆったりと構えていた。

 案の定だった。わずか1.5メートルも掘ったところ、水がジワジワと滲んでくる。やはり、ここは水に恵まれているから、容易く水の道に辿り着くだろうと思った。ところが、4メートルから5メートルくらいまで掘り進めると、塩ビ管が撥ね返るような反発を受ける。水の道といえるかもしれないが、それにしては浅すぎる。これではよい水が出てこないのではないか。結論としては、もう少し掘り下げようということになった。水量を多くして圧力をかけると、さらに掘り下げることが出来た。

 6~7メートルまで掘り下げた。掘っている場所からわずか7~8メートルのところに、10年前に掘った井戸がある。この時の深さと同じだ。手応えから、水の道ではないだろうかと思い、ガソリンポンプで汲み上げてみるが、思ったほどの水量がない。再び、もう少し掘ってみようということになった。10メートル近くまで掘り進め、もうこれが限界という一歩手前まで来た時、「よし、ここだ」とリーダーが言う。汲み上げてみると確かに水量も多いし、水もきれいだ。

 今日はきっと軽く出るだろうなどという先入観がダメだった。半田市で井戸を掘った時も、わずか3メートル離れた目の前に井戸があったから、必ず水は出るだろうと思い込んでいた。今回だって10年前にすぐ近くで井戸を掘った経験があったから、全く安心していた。さらに、水が出た時の用意に、消防隊が使うような放水銃を早々と用意しすぎた。何でもあまりに先回りすると、返って結果はよくない。いい格好して驚かせようという魂胆がよくなかったと気付く。

 「ああ、人生と同じだ。山もあれば谷もある。これで万々歳だなどとうぬぼれているとド壺にはまる。何事も控えめが一番だ」。人生の先輩が面白おかしく語る。おりしも今日は、県立高校のBグループの入学試験が行なわれ、その結果が早くもテレビで報じられた。どこどこの高校は何点とカミさんは盛んに気にしている。それがナンだ。たかがボダーラインに過ぎないし、仮にどこどこの高校に入学あるいは入学できないとして、それで人生の全てが決まるわけではないじゃーない。

 井戸掘りも高校入試も当たりもあればハズレもある。それがナンだ。それでどうした。山もあれば谷もあるという。楽しんで生きればいい。可能性はいつも目の前に広がっている。やってもやらなくても、どんな風に生きようと人生は人生。自分の人生は自分にしかない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誕生日会の仲間たち

2010年03月14日 22時57分56秒 | Weblog
 年齢を重ね、子どもたちが巣立ってしまうと、夫婦ふたりだけの生活になる。妻の方は子どもを通して地元に友だちが出来たり、あるいは学校時代の友だちとの交流をこまめに続けていたりして、友だちには恵まれている。それに比べると夫の方は働き蜂だったから、家には寝に帰るだけで地元の友だちがいない人が多い。ですから、地元のスポーツクラブか文化クラブにでも属していない限り、なかなか友だちができない。

 私の場合は幸いにも、地域で新聞を作っていたこともあり、直に相手を知ることができて、多くの友だちに出会えた。そればかりか、地域の自治組織の役員を一緒にやった仲間と共に気が合って、10年以上の付き合いが続いている。春の夜桜の宴に始まり、夏祭り、秋のバス旅行、年越しの宴と続いてきた。遊ぶことばかりであるけれど、故郷も仕事も違う20余人が集まり続けているのだから不思議だ。

 このうちの5所帯は「誕生日会」と称して、毎月のように順番に集まって、持ち寄り宴会を楽しんでいる。それぞれが自慢の料理を持ち寄るので、自分の家では食べられない料理に出会うのも楽しみの一つだ。もし、欠点を挙げるとしたなら、しゃべりすぎることではないだろうか。しゃべりだしたなら止まらない人が多いから交通整理をしなくてはならないが、これが結構難しい。そのうちに私も酔っ払ってきて、どうぞご勝手にということになってしまう。

 まあ、そのくらい気の置けない仲間だということなのだろう。最近では、その息子や娘や娘婿までもが仲間入りしてきて面白い。年長の娘婿が若い方の娘婿に言い聞かせるような場面も生まれたりしている。昨夜は、もう何年も付き合ってきていながら、息子さんとは親しく話したことがなかったけれど、その息子が「付き合いができて本当に良かった」と言うので、涙もろい私は「あなたのことを自分の息子のように思っているよ」と言って、自分で泣いてしまった。

 私が選挙に出た時には、息子や娘さんたちまでも応援してくれた。運転手やウグイスやビラ配りや、いろんな面で助けてもらった。そのウチのひとりの女性が私のことを言う。「多くを語らずに、自分を理解せよと、本当に難しい人。余りにも正直すぎるし優しすぎる。無理強いをしないことが本当に良かったかだって分からない」と。そうか、そんな風に私を見ていたのか、確かに何が良かったのか分からないことは多いが、他人からの目とは面白いものだと思った。「本当は怖い人だよね」とも彼女は言うが、何を思ってそう言うのか、一度素面の時に聞いてみたいと思っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金曜日の夜は

2010年03月12日 23時48分27秒 | Weblog
 金曜日の夜は、今度の選挙に向けてスタッフ会議を行なっている。私はほんの少しお手伝いをするつもりでいたが、いつの間にか責任が重くなってきていて往生している。私が以前、一緒に会派を組んだことがあるから手伝うことにしたわけではない。彼は、私を裏切って相手側に寝返った人で、それを知っている私の支持者は彼を嫌っている。私が応援をしなくてはならないと決めたのは、私を応援し続けてくれた90歳近くになる女性から、「あなたが応援しなければ誰が応援するの。ぜひ、力になってあげて!」と言われたからだ。彼女には本当にお世話になった。恩返しが出来るものならと決意した。

 けれども、選挙は誠にイヤなものだ。彼女は私に「あなたが声をかければもっとたくさんの人を集めることが出来るのだから、表面に出て声をかけて」と私に迫るが、人の関係はそんな生易しいものではない。私の支持者が即彼の支持者にはならない。そういうことを彼女に説明するのだけれど、なかなか分かってはもらえない。この女性は、市議選ではこの候補を、県議選ではこちらの、国会議員の選挙ではこの人と、どの候補にも一生懸命で人集めをする。こんなことを言っては叱られるけれど、選挙が好き!なのではないだろうかと思う時がある。

 今日も「事務所の開所式では、もっとあなたが前面に出てやってくれないと人が集まらない。来てくださった人も安心できない」など言われる。彼の選挙の主体となっているのは同窓会だ。同窓会の人たちを差し置いて、私が前面に出れば、同窓会の人たちは引いてしまうだろう。まず同窓会があって、それに協力する形でなければこの選挙はうまくいかないだろう。私や私の友だちが出すぎれば、私たちの発言権は増すだろうけれど、それだけの仲間を動員できるかとなると疑問だ。そんなにスッキリ割り切ってやってくれる人が何人いるのだろう。それに、正直なところ私自身にもそれでいいのかという気持ちがある。

 こんな風に、金曜日の夜は鬱陶しい気持ちになる。さて、明日の夜は、久しぶりの誕生日会だ。そんなわけで、このブログはお休みにする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人間はどこまでも複雑だ

2010年03月11日 23時03分32秒 | Weblog
 NHKテレビで、藤原紀香さん主演の『ツレがうつになりまして』を観た。先日会った大学時代の友だちも「うつだったの」と言っていたのが引っかかった。これは全く関係ないかも知れないが、私が教師をしていた時、カウンセリングの先生が「心理テストをやったら、我々は正常でも校長や教頭は異常だろう」だったか、逆に「我々は異常で、校長や教頭は正常。そんなものなんだよ、心理テストは」だったか、今から思えば定かではないけれど、そんなことを冗談っぽく語っていたことを思い出す。

 心理学を学んだことはないけれど、おおよそ平均値を正常とし、これからはみ出したものをやや異常、さらに大きくはみ出せば異常というのではないだろうか。私なんかは、他人から見ればすこぶる常識の人であり、最も平均的で正常な人の部類に当てはめられるだろうと思う。しかし、自分では、非常識で異常な人間と感じている。選挙で私を応援し続けてくれた90歳近い女性が「浮気の一つも出来ない堅物で、どうしようもない男だ。これが女を泣かせるような男ならもっと大物になれたでしょうに」と、私を評する。

 私はそんなに清廉潔白な男ではないけれど、「キーセンツアーに毎週のように出かけた」と豪語するようなことは出来ない。どうしてそんな恥知らずなことを平気で言えるのか、その感覚も分からない。男が女を好きになることは自然なことだと思うし、それを否定することは出来ないけれど、お金でSEXを買う行為は理解できない。一途という点では昔から変わらないように思っているが、異性を好きになるということとは一見矛盾するけれど、それこそが正常ではないのかと思っている。

 ところで、「うつ」とはどういうことなのだろう。テレビドラマでは、「自分は何の役にも立たない。不要な人間だ」と、そう思った時にうつになるようなストーリーだった。でも、人は時には、自分はこの世に生きていても仕方ないのではないのか、そんなことを思う時はいくらもあるような気がする。私自身も「もうダメだ。生きていても仕方がない」と思ったことは何度かある。けれど、それでうつのようになっても病状としてうつになることはなかった。

 「それは、本気でもうダメとか、生きていても仕方がないと、思ってはいなかったからよ」と、カミさんは鋭く分析する。確かにそのとおりだ。今はダメかもしれないがいつか必ず出来るとか、そんなに捨てたものではなく、まだやれるはずだ。そんな気持ちが心のどこかにあって、自分を全面否定しない、もうひとりの自分がいた。私がうつにならずに生きてきたのはきっと、自分を評価している自分がいるのだろう。

 テレビドラマがどんな風に進むのか楽しみなのだけれど、これは実際にあった話のようで、漫画家のカミさんが、連れ合いがうつになったことを題材にしたマンガのドラマ化だと次女が教えてくれた。「それで、このふたりはどうなるの?」と聞いたけれど、「テレビを見ていれば分かるわよ」と連れない返事だ。でもまあ、ドラマにするくらいだからハッピーエンドだろう。それにしても、うつとは何だろう。人間はどこまでも複雑だ。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日、出会った人

2010年03月10日 22時19分27秒 | Weblog
 今日、会った人がこう言われた。「昭和22年ごろだったと思う。夕食の時に親父はこう言った。『今日で村会議員を辞めた』と。お袋が『どうしてそんなことを』と聞くと、親父は『これからは議員にも報酬が出るようになる。そんなことをしたら、この村はもっと税金を高くしないとやっていけない。それを避けようと6人の仲間の議員を回って、みんなで反対することで同意してもらった。それなのに、議会では6人とも賛成に回った。なんという情けない連中だ。約束が守れないばかりでなく、村民のことを何も考えていない馬鹿だ』と言い切った。お袋は『お金がもらえるならもらえばいい。ウチだってお金があったら子どもに苦労させなくてもすむ』と言った。親父は怒って、ナベの蓋をお袋にたたきつけた。だからよく覚えている」。

 戦前の政治家は自分の田畑や家屋敷を失くすくらい政治の理念に燃えた人が多かった。おそらく政治を崇高な仕事と思っていたから出来たのだろう。しかし現在は、寄付してもらったお金で土地を買ったり家を建てたりする政治家がいる。政治家になることで私腹を肥やしている。支持者がそう望んでいるなどとよくそんなウソが言えると思う。大きな夢を掲げるのはいいけれど、それは政治家本人の夢であってはならないだろう。政治を志す人が見る夢は、あくまでも大多数の人々のためになることでなければならない。先を読みすぎて、民衆が追いついてこないことがあったとしても、そのために多少強引な手段をとるようなことがあったとしても。

 私自身は、民衆が追いついてこられないような政策は意味がないと思っている。じっくり待つか、それが出来ないならやめた方が良いとすら思う。今日、会った人は「日本人は馬鹿ばかりだ」と切り捨てるけれど、その気持ちは分かるとしても、それでは何も解決しない。これまでの日本の政治は、小さな町の政治と同じだ。議員は「自分を当選させてくれたならば、自分は一生懸命に地元のために働きます」と唱えて選挙をする。地元の人々は、まず自分たちのところが他に先駆けて舗装されたり、公園が出来たり、清掃されたりと、目先の欲から議員を支持し当選させる。そんな地域や団体のエゴが優先されれば、当然なことだけれど予算は常に膨張せざるを得ない。

 こうして、日本では無駄な事業がどんどん行われた。無駄な事業を作り出す人は豪腕な政治家と褒め称えられた。有力議員と言われるのはこういう類の政治家である。これは確かに、有権者もそうした議員を求めたから生まれたので、ニワトリとタマゴのようなものだ。どちらが先と言うわけではなく、戦後の日本はこういう社会であったし、それでまた社会が発展してきたので、誰も疑問を抱かなかった。いや、誰もという表現は正しくないだろう。これは歪んだ社会だと気付いた人はいたし、普通に生活をしていても、おかしいじゃないかと感じた人もいたはずだ。

 私も、社会の中の自分を意識できるようになって、なぜ戦争をするのかと思ったし、平等であるはずなのになぜ貧富の差があるのとか、一生懸命に真面目に生きている人がなぜ報われないのかとも思った。私には、人間はいったい何なのか、と永遠につきまとう課題である。「馬鹿ばかりだ」と言った時は、自分を馬鹿だと言っているように思う。そんなことよりも、どうすることが必要なのかと考えることであるし、そのために何をしなければならないかであろう。しかし、もう私に何が出来るのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする