大学時代の同級生に会ってきた。40年ぶりだと思う。彼女は私の席の前の人で、かなりナイーブな女の子だった。最初に会ったのは大学の入学式で、私は田舎の高校を卒業した時だから、頭は丸坊主で学生服を着ていた。彼女は都会の優秀な高校の卒業生で、絵は抜群にうまかった。写実だけならうまい子はたくさんいたけれど、彼女の絵には歌があった。不思議な雰囲気が漂っていた。写実にこだわっていた私にはとても及ばないものを持っていた。席順が前後というだけではなく、ものの捉え方や考え方あるいは感性が似ていたのか、卒業するまで一緒にいることが多かったように思う。
彼女の神経は細やかで鋭かったし、感情も激しいものがあった。私も、教育実習先の先輩から「まるでカミソリのような神経だ」と言われたことがあったから、互いの感性に賞賛と敬意と驚異を抱いていたのだと思う。私は芸術家になりたかったけれど、彼女のような才能はないと思っていた。きっと、彼女は絵描きとして達成していくのだろうと信じていた。卒業してもしばらくは年賀状のやり取りがあったが、そのうちに音信不通になってしまった。結婚したと聞いたけれど、彼女のことだから絵描きの道は諦めずに進んだのだろう。そう漠然と思っていた。
それが先日、高校の同窓会があるからと出かけていったカミさんが、彼女が「展覧会をやっているのよ」と教えてくれた。彼女とカミさんは同じ高校の卒業生で、その時、彼女から展覧会の案内をもらってきたのだ。展覧会の会場に着いて、一目で分かった。「お互いにこの歳までよく生きてこられたね」と言う。顔は大学時代よりもふっくらして、髪は白く、昔のようにギラギラした感じは無くなり、普通のおばさん、いやもうおばあさんになっていた。老けた年寄りになったのはお互い様だった。
「てっきり絵を描いていると思っていた」と私が言うと、「うつで、学校も休職していた時に、粘土でもやったらと言われて、触っているうちにこんなにたくさんの土鈴が出来たの。それで縁があってこうして展示することになったのよ」と言う。そうか、やはりいろんなことがあったのだね。「実は、まだ、何も話していないけれど、そろそろボクも絵を描こうかなと思っている。出来れば一緒に展覧会をやりたいね」。そんなことを思った。「若い頃は絵を描くことが苦痛だった」と彼女は言う。私も同様で、どうしても気負いがあった。いい絵を描いて驚かせたいと思っていたのだ。
今、この歳になってみれば、もうどうだっていい。好きなものを好きなように描くことが出来るようになってきてもいいはずだと思う。そう開き直りながら、まだ裸になれない自分がいる。よし、小学校5年の時に、自分の性格を変えようと決意したように、もう一度、今度は裸の自分になろうと思う。それを何時からにしようか、来月の誕生日の66歳からか、もう少し延ばして70歳からか。馬鹿なことを真剣に考えている。
彼女の神経は細やかで鋭かったし、感情も激しいものがあった。私も、教育実習先の先輩から「まるでカミソリのような神経だ」と言われたことがあったから、互いの感性に賞賛と敬意と驚異を抱いていたのだと思う。私は芸術家になりたかったけれど、彼女のような才能はないと思っていた。きっと、彼女は絵描きとして達成していくのだろうと信じていた。卒業してもしばらくは年賀状のやり取りがあったが、そのうちに音信不通になってしまった。結婚したと聞いたけれど、彼女のことだから絵描きの道は諦めずに進んだのだろう。そう漠然と思っていた。
それが先日、高校の同窓会があるからと出かけていったカミさんが、彼女が「展覧会をやっているのよ」と教えてくれた。彼女とカミさんは同じ高校の卒業生で、その時、彼女から展覧会の案内をもらってきたのだ。展覧会の会場に着いて、一目で分かった。「お互いにこの歳までよく生きてこられたね」と言う。顔は大学時代よりもふっくらして、髪は白く、昔のようにギラギラした感じは無くなり、普通のおばさん、いやもうおばあさんになっていた。老けた年寄りになったのはお互い様だった。
「てっきり絵を描いていると思っていた」と私が言うと、「うつで、学校も休職していた時に、粘土でもやったらと言われて、触っているうちにこんなにたくさんの土鈴が出来たの。それで縁があってこうして展示することになったのよ」と言う。そうか、やはりいろんなことがあったのだね。「実は、まだ、何も話していないけれど、そろそろボクも絵を描こうかなと思っている。出来れば一緒に展覧会をやりたいね」。そんなことを思った。「若い頃は絵を描くことが苦痛だった」と彼女は言う。私も同様で、どうしても気負いがあった。いい絵を描いて驚かせたいと思っていたのだ。
今、この歳になってみれば、もうどうだっていい。好きなものを好きなように描くことが出来るようになってきてもいいはずだと思う。そう開き直りながら、まだ裸になれない自分がいる。よし、小学校5年の時に、自分の性格を変えようと決意したように、もう一度、今度は裸の自分になろうと思う。それを何時からにしようか、来月の誕生日の66歳からか、もう少し延ばして70歳からか。馬鹿なことを真剣に考えている。