友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

誕生日会の仲間たち

2010年03月14日 22時57分56秒 | Weblog
 年齢を重ね、子どもたちが巣立ってしまうと、夫婦ふたりだけの生活になる。妻の方は子どもを通して地元に友だちが出来たり、あるいは学校時代の友だちとの交流をこまめに続けていたりして、友だちには恵まれている。それに比べると夫の方は働き蜂だったから、家には寝に帰るだけで地元の友だちがいない人が多い。ですから、地元のスポーツクラブか文化クラブにでも属していない限り、なかなか友だちができない。

 私の場合は幸いにも、地域で新聞を作っていたこともあり、直に相手を知ることができて、多くの友だちに出会えた。そればかりか、地域の自治組織の役員を一緒にやった仲間と共に気が合って、10年以上の付き合いが続いている。春の夜桜の宴に始まり、夏祭り、秋のバス旅行、年越しの宴と続いてきた。遊ぶことばかりであるけれど、故郷も仕事も違う20余人が集まり続けているのだから不思議だ。

 このうちの5所帯は「誕生日会」と称して、毎月のように順番に集まって、持ち寄り宴会を楽しんでいる。それぞれが自慢の料理を持ち寄るので、自分の家では食べられない料理に出会うのも楽しみの一つだ。もし、欠点を挙げるとしたなら、しゃべりすぎることではないだろうか。しゃべりだしたなら止まらない人が多いから交通整理をしなくてはならないが、これが結構難しい。そのうちに私も酔っ払ってきて、どうぞご勝手にということになってしまう。

 まあ、そのくらい気の置けない仲間だということなのだろう。最近では、その息子や娘や娘婿までもが仲間入りしてきて面白い。年長の娘婿が若い方の娘婿に言い聞かせるような場面も生まれたりしている。昨夜は、もう何年も付き合ってきていながら、息子さんとは親しく話したことがなかったけれど、その息子が「付き合いができて本当に良かった」と言うので、涙もろい私は「あなたのことを自分の息子のように思っているよ」と言って、自分で泣いてしまった。

 私が選挙に出た時には、息子や娘さんたちまでも応援してくれた。運転手やウグイスやビラ配りや、いろんな面で助けてもらった。そのウチのひとりの女性が私のことを言う。「多くを語らずに、自分を理解せよと、本当に難しい人。余りにも正直すぎるし優しすぎる。無理強いをしないことが本当に良かったかだって分からない」と。そうか、そんな風に私を見ていたのか、確かに何が良かったのか分からないことは多いが、他人からの目とは面白いものだと思った。「本当は怖い人だよね」とも彼女は言うが、何を思ってそう言うのか、一度素面の時に聞いてみたいと思っている。
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