人には何らかのクセがあるようだ。私の兄は子どもの頃から身体が大きくて、運動神経が優れていたそうだ。だから、徒競走ではいつも一番だったのに、途中で止まってみんなが来るのを待ったり、逆走して迎えにいったりするヘンな子どもであったそうだ。私の子どもはふたりとも女の子だけれど、長女は何でも挑戦する怖いもの知らずのところがあったのに、次女は全く正反対で、新しいことに挑戦するのが苦手であった。
次女は寝る前にはキチンと洋服をたたみ、翌朝の準備が出来ないと寝られない神経質な子であった。大きくなっても、掃除や洗濯や模様替えが好きな子で、世話好きな主婦タイプだった。これに対して長女は姉御肌で、いろんなことを企画して外へ出るタイプである。しかし、繊細な面も併せ持っていた。おかしなことだが、高校生の時だったと思うけれど、皆勤賞で表彰されるのが嫌でわざと1日休んだことがあった。
きっとそれが彼女の美学なのだろう。私も小学校の頃、母が洋服を新調してくれるのがとても恥ずかしかった。母は裁縫の先生であったから、下着まで手作りの新しいものを与えてくれた。戦後の貧しい時代だったから、子どもたちは粗末なものを着ていた。新しい服を着ていかなくてはならない時はとても苦痛で、わざと汚して着ていった覚えがある。長女は小さい時は皆勤賞であることが自慢であったはずだけれど、さすがに高校生の時はちょっと恥ずかしく思ったのかもしれない。
孫娘は私たち祖父母の前では甘えん坊であるけれど、人前ではキチンと挨拶をするし、勉強も運動もあらゆる面で律儀な女の子である。決まりを守り、はみ出したりすることに美意識を持つようなタイプではない。真面目に努力することが人としての美と信じているように思う。だから男からすると余りにも堅物で面白みのないタイプなのかもしれない。それでも、高校生になればまた生き方も変わってくるのではないかと私は思っている。
人には、自分に閉じこもっていくタイプと誰にも愛想が良くて調子の良いタイプがある。余りにも内向的な人物も手に負えないが、口八丁手八丁の人もやりきれない。内向的な人は自分でも気付いているけれど、調子の良い人はそれのために、どれほどの人を傷つけているのかとは思っても見ないようだ。外交的なこのタイプは相手に合わせていくことにまったく疑問を持たないし、そうであるがために、言っていることとやっていることが矛盾したりしてチグハグになっていても、それをしまったとは思わない。自己保身の強いタイプだと私は思う。
私もクセのある人間だと思うけれど、いざ自分のこととなると、自分のクセがどんなものなのか、的確に言うことが出来ない。やはり誰かに言われて自分のクセに気付くことになるのだろうか。
次女は寝る前にはキチンと洋服をたたみ、翌朝の準備が出来ないと寝られない神経質な子であった。大きくなっても、掃除や洗濯や模様替えが好きな子で、世話好きな主婦タイプだった。これに対して長女は姉御肌で、いろんなことを企画して外へ出るタイプである。しかし、繊細な面も併せ持っていた。おかしなことだが、高校生の時だったと思うけれど、皆勤賞で表彰されるのが嫌でわざと1日休んだことがあった。
きっとそれが彼女の美学なのだろう。私も小学校の頃、母が洋服を新調してくれるのがとても恥ずかしかった。母は裁縫の先生であったから、下着まで手作りの新しいものを与えてくれた。戦後の貧しい時代だったから、子どもたちは粗末なものを着ていた。新しい服を着ていかなくてはならない時はとても苦痛で、わざと汚して着ていった覚えがある。長女は小さい時は皆勤賞であることが自慢であったはずだけれど、さすがに高校生の時はちょっと恥ずかしく思ったのかもしれない。
孫娘は私たち祖父母の前では甘えん坊であるけれど、人前ではキチンと挨拶をするし、勉強も運動もあらゆる面で律儀な女の子である。決まりを守り、はみ出したりすることに美意識を持つようなタイプではない。真面目に努力することが人としての美と信じているように思う。だから男からすると余りにも堅物で面白みのないタイプなのかもしれない。それでも、高校生になればまた生き方も変わってくるのではないかと私は思っている。
人には、自分に閉じこもっていくタイプと誰にも愛想が良くて調子の良いタイプがある。余りにも内向的な人物も手に負えないが、口八丁手八丁の人もやりきれない。内向的な人は自分でも気付いているけれど、調子の良い人はそれのために、どれほどの人を傷つけているのかとは思っても見ないようだ。外交的なこのタイプは相手に合わせていくことにまったく疑問を持たないし、そうであるがために、言っていることとやっていることが矛盾したりしてチグハグになっていても、それをしまったとは思わない。自己保身の強いタイプだと私は思う。
私もクセのある人間だと思うけれど、いざ自分のこととなると、自分のクセがどんなものなのか、的確に言うことが出来ない。やはり誰かに言われて自分のクセに気付くことになるのだろうか。