友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

桜と選挙と説明と

2010年03月31日 22時00分12秒 | Weblog
 今日、満開の桜を見つけた。ソメイヨシノのようなピンクではなく、真っ白だった。もう黄緑色の若葉が白い花の先から出ていた。たった1本だけだったけれど、その下で桜を見上げている青年がいた。前に話を聞いたことのある青年で、「うつ病の克服プログラムを実施している」と話してくれた。「凄いね。満開だね」と声をかける。彼はビックリした様子だったけれど、すぐに私だと分かると指で上の桜を指して満足そうな顔をした。

 対向車がやってきてしまったので、車から降りて彼と桜を楽しむことが出来なかったことが、ちょっと心に引っかかる。角を曲がると小さな公園があって、そこにも桜が2本、ピンクの花をチラホラ咲かせていた。こちらのソメイヨシノはまだ3分咲き程度だ。昨日、「はままつフラワーパーク」に出かけた人が満開の桜の写真をブログに載せていた。今日、岡崎公園へ桜を見にいった人も見事だったと言う。今週の土曜日に恒例の「夜桜を愛でる宴」が開かれるが、桜はどんな具合だろうか。

 「夜桜を愛でる宴」は名称はきれいだけれど、実体は夜桜の鑑賞を堪能するというよりも、ワイワイガヤガヤ飲んで食べておしゃべりしてというまことに江戸庶民の集まりに近い。いつものことながら、満開にピッタリ標準を合わせることが出来ないが、それよりもつらいのは夜の寒さである。余り寒いとビールよりも熱燗が恋しくなる。さて、今週の土曜日はどんな天候なのだろう。このブログも土曜日はお休みである。

 桜の開花を読むのも難しいけれど、政治の世界を読むのはもっと難しい。日曜日から配る選挙のチラシを見た長老が「もっとストレートな表現の方がいい」と言い出した。原稿の段階で見せた時は「これはいい。インパクトがある」と褒めてくれたのにである。人は思い入れが強くなればなるほど、もっと強く欲しがるものなのかもしれない。「選挙は戦争だ。生きるか死ぬかだ」と、言われることはよくわかるけれど、だからどんな方法を用いて相手を攻撃していいとは私は思えない。

 市民がキチンと選択してもらえるように最大限の情報提供をすることが大事だと思っている。そのためのテクニックはもちろん必要であるけれど、蹴落とすことが目的ではなく、あくまでも選択してもらうことが目的だと思う。私たちの考え方が正しいとしても、それを伝える方法が悪ければ伝わらない。言葉やデザインはそのための重要な要素だ。どんなに悪いヤツだと相手のことを思っていても、「悪いヤツ」と断定したところで市民には理解されない面がある。なぜ悪いのか、そこをみんなが納得できる言葉で説明しなくてはならない。

 小沢一郎氏は説明しようとしない。鳩山由紀夫氏は説明が不十分だ。自民党時代ならそれで良かったけれど、民主党は自民党との違いを見せなければ支持はますます低下するだろう。桜の花が風に散っていくように、小沢氏や鳩山氏が政界を去るのか、民主党そのものが桜吹雪となって崩れていくのか、ハッキリするのは藤の花の咲く頃だろうか。
コメント
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