真夏のように暑い日になった。異常なのか、中国四川省の地震は当初よりもはるかに大きく、被害も桁違いなものになっている。中国は地震のない国だと聞いていたけれど、それは大きな間違いであったようだ。火山はないけれど、いやあるのかな?ヒマラヤ山脈は地殻が収縮して出来たものだから、地球を覆うプレートがぶつかり合う場所でもあるのだから、地震の発生は当然考えられる。
死者は6万人を超え、7万人になろうとしている。未だに多くの行方不明者がいるから、死者の数はもっと増えるだろう。私は、中国には重慶と三国志で有名な諸葛孔明の成都にしか行ったことがないので、中国全般を論じることはできないが、この2つの都市はとにかく人が多かった。そしてまた、中国は共産党政権ではあっても、自由主義経済の国と全く変わらないことを知った。
若者たちの服装は日本の若者たちの服装と大差はなかったし、夜の重慶はまるで日本の大都市並みの明るさと華やかさに満ちていた。2つの都市の道路はかなり広いものだった。その広い道路をものすごい数の車が走る。ものすごい数の車が走っているのに、またものすごい数の自転車も走る。信号など無視して、あちらからこちらから人が車や自転車を縫うように渡ってくる。
これだけ人口が多くては“他人のことを思いやる気持ちを”というのは無理なことだと思った。だから地震で被害にあった人々が、「水がない!」「食料がない!」「援助が来ない!」と怒鳴る姿がテレビに映し出されても、当然だろうなと思っていた。しかし、そんな地震の被害者たちがわずかな食料を持ち寄り分け合ったり、みんなが救助をボランティアでやっていることが報道されると、中国人の人間としてのレベルの高さを改めて思い知らされた。
日本人も中国人も、四季の自然に恵まれた温帯気候の中で暮らしてきた。農業に適したこの地域で、さらに改良を重ねて生産高をあげ、豊かな生活を作り出してきた。詩歌や物語の文学、絵画や彫刻の美術、生活用品の工芸など、繊細で哲学的な思惟に富んだものが多く生まれた。自然に学び、自然を愛し、自然を恐れた同じ東洋人の優しさを共有できると私は思っている。
重慶と成都との間で、昔なつかしい農村風景を見た。都市が現代そのものなら農村は昭和一桁の世界と思うほどの落差がある。それに山々に大きな樹木は見当たらなかった。中国がこの災難を乗り越えるには莫大な資金が要る。防衛予算はうなぎのぼりに膨れていき、北京オリンピックそして上海万博と続くから、お金はいくらあっても足りないだろう。
古い中国は宮殿や神殿の建築、外敵との戦争、運河や道路工事、天災の後始末と、財政が疲弊する度に政権が交代した。また、繰り返すことになるのだろうか。
死者は6万人を超え、7万人になろうとしている。未だに多くの行方不明者がいるから、死者の数はもっと増えるだろう。私は、中国には重慶と三国志で有名な諸葛孔明の成都にしか行ったことがないので、中国全般を論じることはできないが、この2つの都市はとにかく人が多かった。そしてまた、中国は共産党政権ではあっても、自由主義経済の国と全く変わらないことを知った。
若者たちの服装は日本の若者たちの服装と大差はなかったし、夜の重慶はまるで日本の大都市並みの明るさと華やかさに満ちていた。2つの都市の道路はかなり広いものだった。その広い道路をものすごい数の車が走る。ものすごい数の車が走っているのに、またものすごい数の自転車も走る。信号など無視して、あちらからこちらから人が車や自転車を縫うように渡ってくる。
これだけ人口が多くては“他人のことを思いやる気持ちを”というのは無理なことだと思った。だから地震で被害にあった人々が、「水がない!」「食料がない!」「援助が来ない!」と怒鳴る姿がテレビに映し出されても、当然だろうなと思っていた。しかし、そんな地震の被害者たちがわずかな食料を持ち寄り分け合ったり、みんなが救助をボランティアでやっていることが報道されると、中国人の人間としてのレベルの高さを改めて思い知らされた。
日本人も中国人も、四季の自然に恵まれた温帯気候の中で暮らしてきた。農業に適したこの地域で、さらに改良を重ねて生産高をあげ、豊かな生活を作り出してきた。詩歌や物語の文学、絵画や彫刻の美術、生活用品の工芸など、繊細で哲学的な思惟に富んだものが多く生まれた。自然に学び、自然を愛し、自然を恐れた同じ東洋人の優しさを共有できると私は思っている。
重慶と成都との間で、昔なつかしい農村風景を見た。都市が現代そのものなら農村は昭和一桁の世界と思うほどの落差がある。それに山々に大きな樹木は見当たらなかった。中国がこの災難を乗り越えるには莫大な資金が要る。防衛予算はうなぎのぼりに膨れていき、北京オリンピックそして上海万博と続くから、お金はいくらあっても足りないだろう。
古い中国は宮殿や神殿の建築、外敵との戦争、運河や道路工事、天災の後始末と、財政が疲弊する度に政権が交代した。また、繰り返すことになるのだろうか。
これらをひとくくりにして、語るのは無理があると思います。私のブログでは、自らの意思で救援活動を行う、従来の中国人には見られないタイプの青年の話と、マーケティング的な視点で中国の若者を三つに分類する話を掲載しています。是非ご覧になってください。