以前、中国へ行った時も「えっ、これが社会主義国なの?」と思ったけれど、今回、広州・深セン・香港・マカオと回って、社会主義を名乗る政党が支配している国家ではあるが、日本やアメリカと変わらないなと再確認した。人々は働き、売り買いがあり、警察官がいて、電車が走り車が走り、観光地もあれば歓楽街もあり、資本主義の国と社会主義の国はどこがどう違うのか、よくわからなかった。
広州は大きな都市だ。孫文が臨時政府を樹立した時はここが首都になったと言うのもよくわかる。その夜の繁華街は若者たちで賑わっていた。一番人出が多いと思われる交差点は、人の波でごった返していた。家族連れもいるし、男の子ばかりや女の子ばかりのグループもいる。カップルもたくさん見かけた。日本やアメリカと変わらないくらいにべったりと肌を寄せ合っている。人前ではなかったけれど、朝6時くらいの運河沿いで、愛情の表現は万国共通なのだろうか、抱き合っているカップルもいた。
流れている音楽もソウルやシンガポールで聞いたものと変わらない。若者たちの服装も全く同じだ。女の子の多くは短パンできれいな素足を誇らしげに見せている。男の子も現代風の格好をしている。酔っているのか、かなりはしゃいでいる子もいる。その交差点で私はギョッとして、しばらく行き交う人々を見ていた。丁度、交差点の信号を渡りきった角の、要するに一番目立つところに老婆がひとり座り込んでいた。しきりに手を伸ばし、身体をゆすって、何かわららない言葉を小さく発している。
社会主義国の中国にも物乞いがいるのか。交差点を行き交う人たちがどういう反応を示すのだろうと思い、離れて観察した。私が見ている間、5分か7分くらいだろうけれど、その間で老婆の前に置かれた毛糸の帽子にお金を入れたのは若い男の子ひとりだけだった。女の子たちは見向きもしないし、家族連れも子どもは背が低いから老婆に気が付くけれど、大人たちは全く無視して通り過ぎていく。3から4メートルほど離れた通りの真ん中でどこかの店の宣伝のために、マスコットのぬいぐるみが子どもや女の子に囲まれ、写真を撮られていた。
お金を入れた男の子は学生風の見るからにおとなしげな感じだった。女の子と一緒に来ていたけれど、女の子に一言三言告げて交差点にもどり、ペコンと頭を下げてお金を入れた。老人に育てられたことがあるのだと私は勝手に想像した。それにしても、社会主義の基本は平等ではなかったのかと疑問に不思議に思う。働かなくても働いても、みんなが同じように生活できる。すると人々は働かなくなる。そこで、小平は経済開放を唱え、競争を促した。また、その手本になるようにと、香港の北隣に新しい街を造ったのだそうだ。
それが深センで、全国から優秀な若者が集められ、企業が生まれていった。確かにこの街は若い人が多く、不思議な活気に溢れている。広州といい深センといい、ソウルやバンコクや東京とどこに違いがあるのだろう。そんなことを考えさせられる旅だった。
広州は大きな都市だ。孫文が臨時政府を樹立した時はここが首都になったと言うのもよくわかる。その夜の繁華街は若者たちで賑わっていた。一番人出が多いと思われる交差点は、人の波でごった返していた。家族連れもいるし、男の子ばかりや女の子ばかりのグループもいる。カップルもたくさん見かけた。日本やアメリカと変わらないくらいにべったりと肌を寄せ合っている。人前ではなかったけれど、朝6時くらいの運河沿いで、愛情の表現は万国共通なのだろうか、抱き合っているカップルもいた。
流れている音楽もソウルやシンガポールで聞いたものと変わらない。若者たちの服装も全く同じだ。女の子の多くは短パンできれいな素足を誇らしげに見せている。男の子も現代風の格好をしている。酔っているのか、かなりはしゃいでいる子もいる。その交差点で私はギョッとして、しばらく行き交う人々を見ていた。丁度、交差点の信号を渡りきった角の、要するに一番目立つところに老婆がひとり座り込んでいた。しきりに手を伸ばし、身体をゆすって、何かわららない言葉を小さく発している。
社会主義国の中国にも物乞いがいるのか。交差点を行き交う人たちがどういう反応を示すのだろうと思い、離れて観察した。私が見ている間、5分か7分くらいだろうけれど、その間で老婆の前に置かれた毛糸の帽子にお金を入れたのは若い男の子ひとりだけだった。女の子たちは見向きもしないし、家族連れも子どもは背が低いから老婆に気が付くけれど、大人たちは全く無視して通り過ぎていく。3から4メートルほど離れた通りの真ん中でどこかの店の宣伝のために、マスコットのぬいぐるみが子どもや女の子に囲まれ、写真を撮られていた。
お金を入れた男の子は学生風の見るからにおとなしげな感じだった。女の子と一緒に来ていたけれど、女の子に一言三言告げて交差点にもどり、ペコンと頭を下げてお金を入れた。老人に育てられたことがあるのだと私は勝手に想像した。それにしても、社会主義の基本は平等ではなかったのかと疑問に不思議に思う。働かなくても働いても、みんなが同じように生活できる。すると人々は働かなくなる。そこで、小平は経済開放を唱え、競争を促した。また、その手本になるようにと、香港の北隣に新しい街を造ったのだそうだ。
それが深センで、全国から優秀な若者が集められ、企業が生まれていった。確かにこの街は若い人が多く、不思議な活気に溢れている。広州といい深センといい、ソウルやバンコクや東京とどこに違いがあるのだろう。そんなことを考えさせられる旅だった。
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