私の住む市は、市民の音楽活動が活発である。名古屋に住む友だちが、「カミさんが合唱をやりたいと言うけど、近くになくて」とボヤいていたが、わが市にはいくつもの合唱団が存在する。子どもたちの合唱団もあれば吹奏楽団は4団体もあるし、市民交響楽団だってある。12月8日には「市民音楽祭」が行われる。
市には音楽学部のある芸術大学があり、近年、大学との連携が密になった気がする。「音楽の溢れる街」にしようと提唱してきた私としては、願いが叶った気がする。まだ、合併前だったが、文化会館が出来た時、市民が活用しなければただの建物でしかないと、交響楽団の設立に奔走した。
それ以前にも、大学が学生だけのものであるより、一般市民に開放されることで大学の価値が生きると、学長に掛け合って大学公開講座を開設してもらった。私たちの年代では、大学に行けなかった人が大勢いた。大学生と同じ机に座り、大学の先生の話を聞くことは大きな喜びである。キャンパスを歩き、図書館を覗いたり、学生になった気分を味合える。今ではどこの大学も行っている社会人学級の先駆であった。
今日はそんな活動が進化して、市音楽芸術協会による第3回定期演奏会が行われた。市民交響楽団の定期演奏会の時は、私はもう忘れられた存在なので招待状が来ないが、芸術協会はまだ発足して3年ということもあり、招待状をいただいたので喜んで出かけた。「重なり合う響の環」をテーマに、いろいろ工夫に富んだとても楽しい演奏会だった。芸術協会には楽器の演奏者や歌手が集まっているので、それぞれの特技や個性を生かしたプログラムになっていた。
音楽は言葉と違って国境がない。音楽は人の心を豊かにする。歌が歌える、楽器を奏でられる、それは特技であるけれど、大勢の人が共感すればさらに大きな安らぎになる。「音楽の溢れる街」にはいじめやケンカは存在しない、いや、いじめやケンカがアホらしくなると思う。
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