友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

またしても”忖度”

2019年04月05日 18時58分34秒 | Weblog

 「説明責任を果たしていく」と言っていた、塚田一郎国土交通副大臣が辞任した。理由は事実と異なる発言をし、行政への信頼を損ねたからと本人は説明している。派閥の親分である麻生副総理が推す知事候補のための応援演説が、今朝の新聞にその内容が掲載されていた。正直といえば聞こえがいいが、保守政治家の本性と私は思った。

 政治家が選挙の時、街頭で演説する内容は、「皆さんのために働きます」というものだ。これからの社会に向けて、どうあるべきかを提案していく、そんな候補は数少ない。目先の、ハッキリ分かる課題の解決、それで有権者の関心を引く、そんな演説が圧倒的だ。有権者も景気をよくする利益には関心があっても、地域の明日や地球の将来など語ろうものなら見向きもしない。

 有権者の利益になることを塚田副大臣は演説したが、確かに調子に乗り過ぎた。「私は物分かりがいい。すぐ忖度する」と笑わせたが、そんな発言が危険と理解できないことがこの議員の情けないところだろう。演説の前半で、「(私は)麻生太郎命、一筋でやってきた。筋金入りの麻生派」と述べ、「麻生派は渡世の義理だけで動いている。ほとんどやせ我慢の団体」と話すなど、とても社会の理想を語れる政治家ではない。

 けれど、有権者はこういう政治家に1票を投じてきたのだ。私のブログにコメントをくれるアリスさんは子どもの頃、父親から「政治家とマスコミの記者と芸能人にはなるな」と教えられたという。その理由は、「ウソが多く、他人から批判される。真っ当な人間が選択する職業ではない」からであった。軍医だったお父さんはこの3種の人たちにひどい目に遇ったのだろう。

 マスコミの記者になりたかった私は、ちょっと戸惑う。記者がウソを書くことがあるのだろうかと。もちろん記者も検討不足のまま記事を書くこともあるかも知れないが、政治家のような腹黒さがあるとは思えない。社会の行く末を見つめながら、記事を書いている記者の方が圧倒的に多いだろう。誰を信じるか、何を信じるか、結局、受け手の側の問題意識と言える。

コメント (1)
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