友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

きっとそれで充分だった

2019年04月17日 18時32分20秒 | Weblog

 施設にいる姉を見舞いに行ってきた。今日は顔色もよく肌もきれいだった。私をお父さんと間違えたこともあったのに、「弟」と呼び棄てられた。妹は姉とは16歳も年が離れているので、「子どもの頃は知らなかった」と姉のことを言う。我が家が倒産し、妹は高校を卒業して結婚するまでの間、姉のところで暮らし、姉がやっていた喫茶店を手伝った。

 姉は女手ひとつで娘を育て妹の面倒をみてきたが、余りクヨクヨと悩むタイプではなかったと思う。なんとかなると前向きというか、先の心配をしない人だった。姉には人のいいパトロンがいて、かなり世話になったようだが、詳しいことは知らない。私が大学4年の時、12月末まで働いていた会社の下宿に残してきた私物を引き取りに年明けて東京まで行ったが、その人がクラウンを手配してくれた。

 これまで一度も口にしたことがなかった姉が今日は、「もうすぐ死ぬでね」と3度も言った。そんな予感がするのだろうか。施設に来る車の中で私が、「姉さんの見舞いが無ければ車を運転することも無い。姉さんが逝ってくれたら免許は返上したい」と話していたので、姉の言葉に義弟もビックリしていた。私が先に逝くようでは具合が悪いから、出来れば本当にそうなって欲しい。

 昨日は私の誕生日であるが、川端康成氏の命日でもある。1972年4月16日、川端氏は亡くなった。確かガス自殺だったと思うが、事故という説もあった。川端家で運転手もして世話をしていた女中(?)さんが、辞めたことで自殺したという説もあったが、この歳になるとこちらの方が真実ではないかと思えてくる。川端作品は『眠れる美女』しか熟読していない私にはそんな気がする。

 女性への思いは執拗で偏執でもある。手足への愛着がとても強いものがある。若い頃は川端作品は情緒的で社会性に欠けるから興味なかったのに、年老いた今はとてもよく分かる。『眠れる美女』のように、ただただ人肌が恋しくてならない。川端氏は1968年にノーベル文学賞を受賞し、それからわずか4年の72歳で亡くなった。自殺でも事故でも、きっとそれで充分だったはずだ。

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