友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

煽り運転と認知機能検査

2019年04月09日 17時12分10秒 | Weblog

 喫茶店で若い男がふたり話していた。その喫茶店はいつも私たちが利用する「年金喫茶」とは違い、どことなく小ぎれいで客も若い人が多い。「この前、煽られちゃってまいったよ」と切り出し、「いつもは車を修理に出したんで代車の軽だったんだけど、そんなにノタノタ走ってた訳じゃないのにバカにしてさ、頭にきたからわざとスピードを落として走ってやった」と続ける。

 相方が「お前の運転怖いもんな。スゥ―と出たり、メチャ落としたり、いつもヘンなリズムで、乗せてもらう時は緊張するよ」と言う。「そうか、そんなことないのにな。軽だったからわざと煽ってきたんだよ。やっぱり軽だとやられるね」と弁解して言う。相方も「オレも煽られたことがある。危ないじゃーないかと思って先に行かせて、その後ろについて煽ってやった。そうでもしないと分からん奴らだ」と粋がっていた。

 ふたりは事故にならなかったからこうして話していやれるが、煽られたからとわざとスピードを落としたり、逆に煽りかえしたりすれば、事故になることだってある。信号で止まられるのが嫌いで脇道へ回る人がいるが、私は時間がかかっても王道を進む方だ。交差点で車が来なければ赤信号でも渡ってしまう人がいるが、私はアホのように青になるまで待つ。体制には反発心を抱いても、ルールはルールと受け止めている。

 75歳から受けなければならなくなった「認知機能検査」を受けてきた。案の定、どこの教習場も満員で、やっと探して受けることができた。指定時間の30分前に着いたつもりだったが、既に何人もの年寄りがいた。時間になって教室に案内され、テストの説明を受けた。75歳からだから私が一番若い。中には名前を呼ばれてもトンチンカンな返事をする人がいるし、「指示するまで開かないで」と言われているのに、テスト用紙を開く人もいる。

 それで注意を受けた人は、「毎日運転している」と言うから怖い。同じ路上を、右も左も区別できないような人が運転していたり、「バカヤロー」と煽り運転する人がいる。もう、やっぱり運転したくないなあーと痛感した一日だった。

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