友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

工房の主は美意識を変えず

2019年04月23日 17時19分09秒 | Weblog

 山の谷間は清々しかった。太陽の光は谷間の真ん中辺りにしか届かず、空気はひんやりしている。カサカサと音がして、葉が舞い落ちてきた。山の上の方で風が吹いたのだろう、新緑となるために古い葉が落ち葉となったのだ。見上げた空に、緑の落ち葉がヘリコプターのようにきらきらと舞う様子は美しいかった。

 すると、落ち葉の後から雪のような白いものが舞い落ちてくる。桜の花びらだ。どこにあるのだろうと目を凝らすと、頂の方にわずかに白いものが見える。私たちが「桜の宴」をする場所は、桜並木が続いているので桜吹雪はよく目にしたが、こんな風に、どこからは分からない桜の花びらが空から舞い落ちる光景は初めてだった。

 工房の主が「キレイでしょう」と囁く。彼女は「この自然がいいのよ」と言うが、本当にその通りだ。陶芸で名をあげた人だけに、美意識はハッキリしていた。私の友だちがベンチを日当たりの良い真ん中に移動して、来た人たちが話が出来るように工夫したのに、通りがかった彼女は「私の感覚ではないわ」と3度も言ったので、友だちは元に戻した。

 ギャラリーでの食事の時も、「向こうは暗いからこちらにしましょう」と友だちが言ったのに、「食事はここで」と暗い場所を指定する。友だちは何も反論せず、指示に従った。頑固と言えばガンコで、空気を読まず自己を貫く勝手な女性だが、だからこそ著名な作家になれたと思う。彼女は「夫婦なんて別々が当たり前じゃーない。理解することは無理よ」と言い切る。

 「それでも、理解して欲しいのが人間なんでしょうね」と言わなくてもいいことを口にしてしまった。彼女を見ていると強い女性には違いないが、誰かに支えられたい弱さが漂っていた。ここに集まった56人は人生の成功者で、別荘を持ち、海外旅行を楽しむ富裕層である。乗ってきた車は外車が多く、国産車も高級車ばかりだった。人生の終末をどのように楽しむかは人それぞれ、私は「最後の恋」を求め続けよう。

 

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