友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「リア充」って?

2015年06月04日 18時33分13秒 | Weblog

 よい天気になったのに、風が強くてルーフバルコニーに出られない。南側の窓を開けたまま北側の窓を開けたりすれば、まるで台風並みの風が部屋を通り抜けていく。マンションの玄関扉が大きな音を立てて閉まるのも部屋のどこかの窓が開いているためだ。子どもの力ではドアを開けることもできないほどの強い力がかかっている。ドアに指でも挟まれたなら、切断の危険さえある。

 外に出られないから家の中で出来る仕事をするしかない。県に報告するNPOの書類つくりをする。このところ売上げは極端に落ちている。仲間も少なくなったし、年齢も全員が70歳以上の高齢者だ。そろそろ限界だ。人はいつまでも変わらない気持ちでいることは大切だと思うけれど、実際の変化を無視してはならないだろう。長く続くと組織は腐るというが、人もまた決して同じ状態を維持できない。

 FIFA(国際サッカー連盟)が汚職で揺れている。再選された会長が突然辞意を表明したが、20年間もトップの座にいるという。「自分がいなかったら」とか、「やり手がいない」とか、「まだ遣り残したことがある」とか、人はいろんな理由をつけてトップに居座り続けるが、長く続いてよくなったことはない。「いや、長く続けて大きくできた」と言う人もいるが、その人がいなければもっと発展したかもしれない。

 歳を重ねて来て気付いたのは、先が短いのにでしゃばるのはよくない、若い人が活躍できるように身を引くことだ。「リア充」という言葉がある。現実の生活が充実しているという意味のようだ。「オタク」とは対極にあるのだろうか。現実を見つめることは大事だろうけれど、現実にこだわれば理想は追えなくなる。私には「リア充」も「オタク」も自分の世界に留まるという意味では似ている気がする。

 NHKまでも地元女子を縮小して「ジモ女」と呼んでいるけれど、ヘンだと思うのは歳のせいだろうか。新しい言葉がドンドン生まれるのは、時代が変わっていくことの象徴なのかも知れない。違和感を抱きながら、受け入れていくしかないのか。

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