友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

アジサイとクチナシ

2015年06月11日 16時57分03秒 | Weblog

 友だちが、ひとりはクチナシを、もうひとりはアジサイを持って来てくれた。アジサイは白い小さな花がマリのような形のもので、余り見かけない品種だ。いただいていながら申し訳ないことに、やっぱりアジサイはブルーが一番とまた思ってしまった。今日のようにシトシトと降る雨には、青紫色のアジサイが似合っている。控えめだけれど、どこか凛として。

 アジサイは育てやすいのか、各家に植えられている。庭中がアジサイで満開という家もあった。余り陽が当たらない場所の方が鮮やかなのはどうしてなのだろう。我が家のルーフバルコニーのアジサイは、赤い色のものはよく咲いたけれど、ブルーのものはまだ咲かないばかりか花芽のないものまである。青紫色のアジサイを挿し木で増やしたいのに上手くいかない。

 クチナシは甘い匂いがする。小学校の庭にもあった。高校はクチナシの生垣で囲まれていた。文芸部の機関誌の題名は『くちなし』だった。大人になって、俳優の渡哲也が歌った『くちなしの花』を聞いた時、高校の生垣のクチナシを思い出した。「くちなしの白い花 お前のような花だった」。中学・高校と6年間、好きだった女の子のことのようだった。お姉さんが市長夫人になったくらいだから、それなりの家柄だと思う。

 3年生の冬に振られた時は「えっ、どうして」とよく分からなかった。やがて我が家は倒産し、やはり結ばれない家柄だったのだと思うようになった。中学の時の彼女は、お茶目で騒がしくちょっとヘンな女の子だった。くちなしのように色が白く痩せて小柄だった。高校生の彼女を狙っていた男子が結構いた。目がパチッとして、女生徒の中でも目立っていた。私が高校の教師になった時、偶然入った喫茶店で出会ったことがあった。連れと一緒だったが、中学・高校と同じだった男で、彼女が選んだ結婚相手だった。

 『くちなしの花』の歌詞とは逆に、幸せな人生を歩いたことだろう。知立神社の「花しょうぶ祭り」に合わせて、草木染の作品を展示していたがどうしているのかな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする