77歳の知り合いの女性を殺害した疑いで逮捕された名古屋大学の女子学生が家裁に送られた。逮捕された後、高校時代に友人に劇物を飲ませたり、女性の殺害後に帰郷した時、知り合いの家だと思って放火したり、考えられないような事件を犯していたことも分かった。女子学生は「子どもの頃から人を殺してみたかった」とか、「焼死体を見たかった」と話している。
今日の中日新聞にこんな記事が載っていた。「『好きな男の子ができたら手をつなぎたい?』『ううん、殺したい』(略)逮捕されて間もないころ女子学生は捜査員との雑談でこう答えたという。自分の意見をよどみなく告げるような口調。迷いを少しも感じさせず、余罪についても『高校生のころ、同級生に毒を盛った』『放火したこともある』と自分で告白した」。
父親は見慣れない薬品をネットで購入する娘の行為を不審に思い地元の警察署に相談に行っているし、「小学生の頃から人の死に興味を持つようになった」と捜査員から聞いた母親は、「そういう雰囲気を感じていた」と話している。両親にしてみれば、「あの子はちょっと変わっているけれど、でも、まさか人を殺めるなんて‥」ということだろう。
人は思いもよらない面を持っている。けれども成長するうちに「普通」になっていく。それを人は理性と呼ぶけれど、本当は損得で計っていると大学生になったころ議論した。教育が果たす役割が大きいのも、共通の「普通」を作り出せるからだとも言い合った。それでもはみ出してしまう人がいる。高等教育を受けた者でありながら、「普通」になり切れない。
初めて川端康成の『眠れる美女』を読んだ時、エロ小説だと思った。自分が主人公の歳を越えると見方が変わった。男は誰でも美しい女性の裸が見たい、美しい手足にそっと触ってみたい、普遍的な欲望だと理解できる。今、神戸連続殺人事件の『酒鬼薔薇聖斗』が書いた手記が出版され、世論を二分している。
私自身はその手記『絶歌』を読んでみたいと思っている。19歳の女子大生もきっと読みたいと思っているだろう。彼女がこれを読んで、どういう感想を持つのかも知りたい。人間が隠してきた深い淵を見たいと思う。