友々素敵

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銃が放棄できないアメリカ

2015年06月21日 18時35分31秒 | Weblog

 アメリカのサウスカロライナ州チャールストンの教会で、白人青年が銃を乱射して牧師で上院議員の黒人ら9人が殺された。オバマ大統領は事件の犠牲者を追悼し銃規制を口にしている。次期大統領を狙うヒラリー・クリントンさんも銃規制に取り組む姿勢を明らかにしている。3年前、東部コネチカット州の小学校で乱射事件があり26人の児童らが殺害された時、オバマ大統領は銃規制の強化を打ち出したが、「銃所持を保障した憲法の権利を奪ってはならない」とする議会の抵抗で実現しなかった。

 アメリカはヨーロッパで迫害されたキリスト教徒が中心となって建国した国家である。独立宣言には「自由・平等」を高らかに謳い、「権利を守るために政府を設ける」とある。イギリスからの独立は戦争であったし、広大な土地を守るために銃を必要としただろう。「キリストの愛」が人々を守ってくれるはずだったのに、聖書を持ちながらもう片方で銃を持ち続けてきた。「自分のことは自分で守る」というのはキリストの教えではないが、当然のように浸透している。

 乱射した21歳の白人青年は、「彼ら(黒人)にこの国が乗っ取られる」と口にしていたらしい。人種差別政策をとっていた旧南アフリカの国旗を付けたジャンバーを着た写真があったから、黒人の抹殺を本気で考えていたのだろう。アメリカでは黒人が虫でも殺すように白人警察官によって殺されている。黒人全員が蜂起しても国を乗っ取ることは困難なのに、どんな教育を受け何を根拠に殺人行為に走ったのだろう。

 これが逆で、黒人の青年が白人を多数殺したのであれば、国家を挙げて対策を打ち出すだろう。ブッシュ前大統領は軍隊を中東に派遣したが、あれもテロリストであるイスラム過激派を全滅するためであった。白人の人種差別狂人集団はなぜ見逃されるのか。オバマ大統領が誕生し、白人と黒人の対立がなくなり、国家と国家の対立がなくなり、核兵器が廃絶され、これまでとは違う新しい時代が到来すると期待したのは私の幻覚だったのか。

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