友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

人間ほど恐いものはない

2015年06月10日 19時03分23秒 | Weblog

 愛知県刈谷市で悲惨な事件があった。刈谷は私が生まれ育った街、事件のあった逢妻川で泳いだこともある。私の子どもの頃は、逢妻川をドロ川と呼び、堤防を隔てた西側の境川を砂川と呼んでいた。逢妻川は黒く濁っていて水深が3から4メーター、川底は黒いドロで気持ち悪かった。これに対して境川の水深は30から40センチほどしかなく、水はキレイで川底は砂、シジミが獲れた。水遊びなら境川へ、泳ぐなら逢妻川だったけれど、逢妻川で泳ぐ者は余りいなかった。

 あの頃は貸しボート屋があって、夏の夕方はボートに乗る若い男女が結構いた。私も中学生の時、男友だちの何人かで出かけて行って、ボートで競争したこともある。川の先はすぐ衣浦湾で、引き潮の時は戻れなくなるから、よく知る人は川上の方へと漕いでいった。小学校5年の時のストライキ騒動の時も、この逢妻川の堤防を北へ向かって逃げた。高校生の時、夏の夜にこの堤防から見た光景が余りに美しく幻想的だったので、あなたは自分の美しさに気が付かないけれど、私はあなたがどんなに美しいか知っているという詩を文芸部の機関誌に載せたこともある。

 それにしても、川崎市の事件もそうだけれど、どうして子どもたちは暴力に走るのだろう。何人かが居合わせていながら、「もういいだろう」とか「やめよう」と言わなかったのか。いったん走り出すと、みんなが一番早い者についていこうとする。連合赤軍事件もオウム真理教事件も内ゲバ事件も、凶暴になればなるほど我が身を守るためにエスカレートしてしまう。人間ほど恐い動物はいないと言うが、本当にそう思う。

 今日の中日新聞の「読書かいわい」の欄に、『人びとはなぜ満州に渡ったのか』と『女たちの満州』が取り上げられていた。「日露戦争で満州に流された民族の血(領土・権益)をムダにするな」「日本の生命線を守れ」という主張が、国民を「大陸戦略の一環である開拓事業に動員し」「大陸の花嫁は国策のもとに強行されたが、自ら新天地を求めた面もある」という。この時もいったん走り出したらエスカレートする一方だった。自分を保つには勇気がいるが、流されないための自分になりたい。

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