友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

小学校のクラス会

2015年06月26日 19時05分09秒 | Weblog

 昨日と違って、梅雨らしい一日になった。昨日の小学校のクラス会は男7人、女4人とと寂しかった。参加者は決まっている。5年の担任は亡くなり、6年の担任は認知症が進んでいて出られない。幹事はこの日のために場所を確保し、値段を交渉し、会費を決めてみんなに往復ハガキを送り、出欠と近況報告及び住所録をプリントして備える。幹事をやった者ならその苦労はよく分かるし、「みんなはクラス会をどう思っているのか」と聞きたくなる気持ちも分かる。

 幹事は出欠を記すハガキに、今後クラス会に参加するか否かを問うた。17人が「今後クラス会に参加しない」と回答してきた。そこで幹事は「参加者が固定しているから、これからはこのメンバーだけに連絡することでいいのではないか?」と言う。参加しないと回答した人の中にも、そうせざるを得ない人もいる。体調が悪いという人が何人もいるが、「まだ働いている」とか、「孫が生まれた」とか、理由が一時的な人もいる。「またお会い出来る日を楽しみにしています」と書いている人もいる。

 「昔の話などして何が面白い」と思っている人もいるだろう。「参加しても楽しくない」と思っている人もいるだろう。私も生まれ育った所でないこの街で、同じ学年の者だからというだけ理由で、毎年集いを行なっているけれど、正直何のための集いなのかと思った。クラス会も集いも、集まってお酒飲んで食べておしゃべりして、結局それだけで意義などあるわけではない。意味を求めなければ、たまには会うのもいいではないか。お互いに歳を取った。昔のことを思い出して、自ら輪に入っていく、そういう年齢になった。

 今回のクラス会に、卒業以来始めて参加した人もいた。彼は「検査が重なったが、今は体調もいい。幹事の名前を見たら会いたくなった」とわざわざ三重県からやってきた。幹事には手間をかけさせて申し訳ないけれど、やはり生存者全員に案内ハガキを送って欲しいと思う。それで参加しない人がいるのは仕方ないが、万が一、彼のように出てみようと思う人がいるかも知れない。意味のないことを真面目にやる馬鹿な年寄りでいいじゃーないかと思う。

コメント
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