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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

中立の新聞はあるはずがない

2014年08月27日 18時56分40秒 | Weblog

 「朝日新聞は慰安婦問題を誤報した。絶対に許せない」「新聞は正確、中立でなければいけない」「間違った報道をしていいのか!」と友人は息巻く。間違った報道はダメで、訂正しなければならないし、社説蘭あるいは囲み記事で謝罪するのが一般的だ。私も小さな地域新聞を月2回発行してきたが、間違いが一番恐かった。記事の内容は自信があっても、人の名前を間違えたり、数字を間違えたりしたことがある。

 取材を受けた側はどんな記事が載るのかと期待しているから、間違いがあれば烈火のごとく怒りの電話を受けることになる。「新聞は公器だから、絶対中立」で無ければならないと思っている人は多いが、それはありえない。記事は正確であることはもちろんだが、どの言葉を選ぶかは記者の主観になる。私の場合は地域新聞だから対立するような問題は極稀だったけれど、中立とは右と左の真ん中を意味するが、主観は真ん中にはならないと思っていた。

 囲み記事で『街で一番』を設けていたが、文字通り一番の人もいたが、一番の話題にふさわしいと私の主観で選んだ人もいた。私の場合は月2回の発行だから、2週間の中でトップ記事にふさわしいものを1ページの頭に持ってきれたけれど、毎日発行している新聞では「どうしてこれがトップ記事なの?」というものもある。新聞を過大に評価している読者は、「新聞はおかしいことをする!」と苦言を放つが実はそういうものである。

 大手の新聞は似たり寄ったりの記事が多い。それでも各社はつくり方を工夫しているし、同じ問題を提起していても主張はかなり違う。だから、好きな主張の新聞を購読すればいい。そうすればその新聞は伸びるし、気に入らない新聞は潰れていく。それが本来の新聞の姿だと思う。私は朝日新聞より中日新聞の主張に共感するので、中日新聞を購読している。新聞は偏っているものだと思った方がよく、購読するのはそれを支持・応援することである。

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