大学の広告が新聞によく載っている。広告代理店に勤める友だちは、今の大学は学生を集めることに必死なので、大学紹介のような広告特集が組まれるのだと教えてくれた。私たちの時代にはなかったような大学がたくさんあるし、先日も新聞に、地方の公立大学がどのようにして学生を集めているか、学長の苦労話が載っていた。経営が困難になった私立大学が、地元の自治体から出資を受けて公立の大学となった話もあった。18歳人口の減少と小泉改革による大学間競争の激化を乗り切るために、大学は大変なのだ。
私が地域新聞を始めて5年目の時、それまではひとりでやって来たけれど、スタッフが出来た。そこで、考えていた大学を開放した生涯学習大学公開講座を学長に提案した。私たちの時代はまだ、それほど多くの人が大学へ進学したわけではない。学びたいという希望は持っていても、家の事情で大学を諦めた人も多い。キャンパスという響きもよい。学生たちが実際に学んでいる机で、学生たちと同じように大学の先生の話が聞けるなら、きっと多くの人が集まるはずだ。地元に貢献する大学とイメージアップにもなるから、ぜひ踏み切って欲しい。費用は大学と地元の自治体とで分担するように説得する。そんな提案だった。
第1回生涯学習大学公開講座は1991年の秋、10講座から始まった。今では社会人を受け入れる大学はいくらでもあるが、当時としては魁であった。今年、大学生になった孫娘の大学のクラブ・同好会の案内を見せてもらったけれど、私たちの時代とは全く違っていた。学生自治会が存在していないし、新聞部とか社会研究会とか歴史研究会とか、哲学とか思想とかの名のついたものは一切なかった。社会性がありそうな感じのするものと言えば映画研究会くらいだ。関西の大学で経済研究会に入ったという大学生に、「マルクスとかケインズとか、研究するの?」聞いたところ、「株の研究です」と教えてもらった。
若者たちにとっては、社会を変えることは出来ない、関心外のことであり、そんなことよりも今日や明日を楽しく充実した、堅実な生活こそが大事なことなのだろう。大学も即戦力になる人材育成に努めていると聞く。大学に通わなくても単位が取れた時代はもう昔話で、今は毎日必死に勉強しないと進級できないほどに絞られるという。それが本来の大学の姿とは私には思えないけれど、せっかく大学に入りながら勉学しないで卒業した私たちのような、悪い先輩を造らないための大学の自己反省なのだろう。