友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

愛と憎しみ

2013年04月19日 18時20分59秒 | Weblog

 朝から強い北風が吹いていて、夕方になっても止みそうにない。残っているチューリップを友だちのところに配るつもりでいたけれど、あまりの風の強さで花が痛んでしまった。明日は大和塾の講演会だけれど、天候はどうだろうかと心配である。明日の講演会には、日本尊厳死協会から2人が来て話してくれる。「尊厳死なんて、あまり聞きたくない」という声もあったけれど、そもそも尊厳死とはどういうものなのか、聞いてみないことには判断も出来ないという当たり前のことから、来ていただくことになった。

 尊厳死については、講演を聴いた後で感想を書くことにしよう。キリスト教では、命は神から授かったものだから、自分で絶つことは出来ないとされている。そのキリスト教国のアメリカ、ボストンマラソンのゴール近くで爆発があり、3人の命が奪われた。たとえ何かの落ち度で爆発が起きたとしても、マスコミが騒いでいるようにテロであるなら尚更、許されないことだ。人が他人の命を奪っても構わないという考え方を無くさない限り、永遠に付きまとう気がする。

 愛と憎しみは、人間には普遍の課題なのだろうか。岸恵子さんが書いた小説『わりなき恋』を中学からの友だちがブログで取り上げていた。69歳の女性と58歳の男性の恋愛を描いたものらしい。今朝のテレビでも、79歳の男性と77歳の女性の間の「詐欺事件」を取り上げていたけれど、高齢者の「老いらくの恋」は話題性が高いのかも知れない。確か、渡辺淳一氏が連載を拒否された小説を単行本として出版するものも「老いらくの恋」ではなかったかと思う。69歳の女性は私と同じ歳であり、58歳の男性は妻も子どもも孫もいるというから、どう見ても高齢者を意識した小説である。

 「わりなき」とは、漢字で表すなら「理無」という古語のようだ。そうか、終わりなき恋ではなく、道理から外れているとか、分別のないとか、理性でどうにもならないものということらしい。恋はもともとそういうものだ。トルストイの『アンナ・カレリーナ』も国家権力の最高の地位に上ろうとする夫を捨て、「愛」に生きようとする物語だ。今、『レ・ミゼラブル』の製作陣による映画が上映されているけれど、1日に4回上映されていたものが2回に減っている。観ておきたいと思っているだけでは見損なってしまうかも知れない。

 近頃、面白いなとNHKの朝の連続ドラマを見て思う。3月で終了した『純と愛』は家族をテーマにしていたので、今度の『あまちゃん』も同じテーマでは扱いが難しいだろうと思ったが、小泉今日子と宮本信子の娘と母のやり取りが面白い。愛と憎しみは、男女に限らない。父と息子、母と娘、この関係も永遠のテーマなのかも知れない。

コメント
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