友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

釈迦の誕生日

2013年04月08日 19時33分29秒 | Weblog

 4月8日は釈迦の誕生日である。子どもの頃、寺では「花まつり」が行なわれ、右手を高く上げた小さな仏像に甘茶をかける行事があった。母はとりわけ熱心で、そうした行事に連れて行ってくれた。「あれは何?」と、その像のことを尋ねると、「お釈迦様だよ。お釈迦様は生まれてすぐに7歩歩いて、右手を天に突き出し、『天上天下唯我独尊』と言われたんだよ」と教えてくれた。生まれたばかりの赤子が歩けるわけがないとか、よく分からない言葉だとか、そんな風には思わず、ただ、エライ人なのだと、その時は思った。

 月参りとか法事とか、盆正月の行事とか、確かに祖母は欠かさずに行なっていた。祖母はまた仏壇に上げられた冷やご飯を毎日食べていた。一度、私も食べさせてもらったが、線香臭くてとても食べられるものではなかった。母の故郷に行くと、仏壇に参り、それからいくつかあるお墓にも参った。どこの家庭でもそうだったと思うけれど、仏教は生活の中に染み込んでいた。何かが起これば、それは何かの報いではないかと考える「因果応報」は当たり前のことだった。けれども、釈迦が本当は何を言ったのか、知らないままに過ごしてきた。

 釈迦が生まれたのは紀元前563年と言われている。釈迦が亡くなった後に、その教えを聞いた弟子たちが集まって、こう言われたというものを集めて経典が作られた。そして教えをどう解釈するかで、分裂を繰り返した。中国に仏教が伝わったのは釈迦の誕生から5百年くらい後である。既に中国には老子や孔子といった優れた思想家がいて、その教えも広がっていた。従って、これは私の解釈だけれど、インドから伝えられた仏教は老子や孔子の教えを土台にした中国の人々によって、理解と意味付けがされていったと思う。

 釈迦の無我とか無常とかといった思想と、中国の人々の自然に対する感情とか歴史とかいったものがとてもうまく融合できたのだと思う。仏教は中国でさらに思想として深みを増し、中国から仏教を学んだ日本でいっそう研鑽されたと思う。オウム真理教の人々が、「寺はただ風景の一部に過ぎない」と現在の仏教を批判したことも間違いではないと思う。葬式で唱えられる経典が何を言っているのか、分かる人が何人いるだろう。キリスト教でも聖書はラテン語で表されていたので、一般の人々には分からなかった。

 釈迦の教えは、キリストや孔子の教えと同じように、紀元前何百年にこんなにも人の心を鋭く洞察した人がいたという人類の宝である。この宝は人々に伝わってこそ意味があると思う。

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