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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

入学式

2013年04月09日 18時48分00秒 | Weblog

 昨日は小学校の入学式で、ピカピカの1年生がお母さんやお父さんに手を引かれてやって来た。ちょっと寒くて、風も吹いていたけれど、気持ちよく晴れていた。見ていると、お母さん、お父さんの他にもジジとババが一緒の子もいる。式の後、校門を背景に記念写真を撮ってもらっている家族もあって微笑ましい。昔ほどではないとしても、お母さんの着物姿も結構見かけた。

 私も小学校の入学式の時は母と一緒だった。母は着物を着ていた。体育館はなくて、講堂で新入生とその付き添いも一緒に写真を撮った。その日は雨降りだったのか、その記念写真には講堂の床に水溜りが写っている。母が付き添ってくれたのはその時だけだった。先日、会社の入社式にまで保護者が付き添っていることが話題になり、私が「大学や会社にまで親が付き添うのは恥ずかしい」と言うと、「だって、どういう大学なのか、どういう会社なのか、親としては見ておきたいじゃーないの」と娘に言われてしまった。過保護ではなく、親としての務めという指摘である。なるほどと思った。

 私が、父も兄も通った地元の高校へ入学した時、まだ母は病の床にあり、それから4ヶ月ほどして亡くなった。私の高校3年間は、父子家庭状態で、父が私と妹の面倒をみていたが、2年生になる時だったか、父の実家である材木屋の倉庫を改造した部屋で生活するようになった。食事や風呂は母屋でいただいた。母屋に兄夫婦と子どもたちが住み、離れの座敷に祖父が、私たち親子が奥の倉庫に住んだ。兄の子どもふたりは男の子で、時には、私は子どもたちの相手をしていたのか、甥っ子の方が私のことを覚えてくれている。

 大学に入学した時は、父も亡くなってしまっていたので、入学式に親の参加はなかったけれど、私だけでなく誰の親も来ていなかったと思う。私の高校は坊主頭だったので、大学の入学の時、私は坊主だった。3月になる頃から、髪を伸ばし始める子もいたけれど、私は全くそのことに気が付かなかった。服も、高校の時の制服しかなかったからそれを着て通学した。体操服も高校のものを着ていたので、教官から高校の名で呼ばれた。私服が買えたのはいつ頃だったのだろう。

 家を出て学生寮に入りたかったけれど、通うことが出来る者はダメだと言われた。両親がいないというので(?)、授業料は免除となり、さらに奨学金もいただけた。そして大学の先生のところの住み込みの書生となり、先生の子どもの家庭教師をさせてもらった。大学4年の時には、東京の出版社でアルバイトもさせてもらった。勉強する時はなかったけれど、充実した4年間だった。

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