友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

自由に生きては愛せないのか

2011年01月19日 19時09分16秒 | Weblog
 夕方、5時過ぎに印刷屋さんへ出かける途中、東の空に大きな月を見た。満月だった。夏に見れば涼しく感じるのに、冬の月は冷たく見える。月曜日の雪がまだあちこちに残っている。子どもたちが大ハシャギして作っていた雪だるまはもう溶けてしまっただろうか。昨日までは泥にまみれ、形も歪になりながらも、まだ踏ん張っていた。今日は吹く風は冷たくて、大地は凍っているかと思うほどだ。

 中学からの友だちが、15年間も友だち以上恋人未満の彼女との思い出を、小説風にブログで書き出した。長い黒髪が艶やかな彼女は、冬には冷たい手をしていたのではないかと思う。色白の女性は体温も低いから、手先が冷たくて、彼は彼女の手を温める悦びを感じていたことだろう。彼女から「ブログに私のことは書かないで」と釘を刺されたと言っていたのに再開したのは、過去のことになったということなのだろう。

 姉の友だちに、60年も付き合いが続いている女性がいる。その人の半生を聞いてみたいと思っているのだが、姉から「あんたは変な人だね」と言われて、間を取り持って欲しいと言えずにいる。相手の男性は認知症が進んで、歩くことも容易ではないようだ。彼女は時々、彼の家へ食事の世話に出かけている。男性の息子もその嫁も彼女の出入りを認めていて、むしろ男性の世話してくれるので歓迎してようだと姉から聞いた。

 20代で上司だった彼との不倫が始まり、老いて衰えて、歩くことも出来なくなった男性に、どうしてそこまで尽くすことが出来るのだろう。私の中学からの友だちとは違って、もちろん肉体関係もあったであろうけれど、だからと言って今では何の価値もないはずだ。特別にお金をもらっているわけでも、息子さんたちから頼まれているわけでもない。身寄りのない彼女の唯一のつながりのある人というが、それだけで世話をするのだろうか。

 世の中には損得では物事を考えられない人がいる。あらゆる人に全て同じように優しいのかと言えばそうではないが、その人のことになると全く計算が働かない。恋人同士でも駆け引きはあり、それがまた愛する気持ちを高めたりする。恋人にプレゼントを贈るのは、純粋に喜んで欲しいからだけれど、それだけではなく、贈り物をすることで相手を所有したいのだろう。自分が選んだものを相手が身に着けてくれれば、相手が自分のものになったような気がしてしまうのだ。

 デートの時にプレゼントしたものを身に着けてきたかをチェックするようなみっともないことを平気でする人もいる。独占欲が強く嫉妬深い人にその傾向があるように思う。私はそれを心が狭いと思っていたが、逆に彼の愛情なのかも知れない。自由に生きれば、愛することは出来なくなるだろう。最近の若者たちは恋をするのを面倒くさいと言う。枯れてもいいはずの年寄りが、恋する人のために誕生日を祝おうとする。不思議な気がするけれど、その方がいいと思う。
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