友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

元気が何より

2011年01月12日 21時45分23秒 | Weblog
 今年は年賀状が来ないなと思っていたら、ガンの手術を受けたというハガキが届いた。「肺ガンと甲状腺ガンが見つかり、いづれも手術をしました。今は変わらぬ日常生活をしておりますが、病院とは長い付き合いになります。元気が何より、体調に気を付けながら前向きにと思っております」とあった。大和塾の塾生の仲間にも前立腺ガンで入院中の先輩がいるけれど、同じ歳のしかもあの女の子がガンかと思うと気が重くなる。

 男たちなら、それまでいろいろ無理なことや勝手なことをやってきたのだから、ガンになっても仕方ない。でもなあー、あんなきれいな人もガンになるのか、と理屈に合わない思いがこみ上げてくる。私がもらっている年賀状の中でも一番字がうまい。始めてハガキをもらった時はこんなに字がうまい子だったのかと驚いた。彼女は中学校の同級生で、中学時代は全く目立たなかった。色が白くて細く、男の子たちの話題にはなっていたのだろうけれど、おとなしすぎてどこにいるのか分からないような女の子だった。

 担任からの言いつけで一度だけ彼女の家に行ったことがある。おじいさんだったかおばあさんだったかと暮らしているような様子だった。家は普通の借家風で、暗く湿気の臭いがしていた。あの頃はどんな家もみんなそうだったかも知れない。彼女は痩せ細っていて、なんとなく病弱な感じだった。勉強ができるとか運動に優れているとか、そんなことは聞かなかった。目が黒く印象的な輝きを放つ時があった。彼女のことはすっかり忘れていたけれど、30代か40代の頃、クラス会で会ってその美しさに驚かされた。私は知らなかったが高校生の頃から美しさでは有名だったようで、私の高校の先輩になる人が彼女を射止めたと聞いた。

 その先輩は大きな料亭の跡取りで、手広く不動産業を営み、テレビでもコマーシャルを流すほどの盛況ぶりだった。私が一番ビックリしたのは、確か彼女の経営する料亭でクラス会を開いた時の女将である彼女の挨拶だった。全く堂々としているばかりか、話の運びがうまかった。人はこんなにも変わるものなのかと思った。彼女はきっと水を得た魚、あるいは器が人を造るというが、本当に生まれながらの女将かと思うほどピッタリだった。

 あんなにおとなしく、教室では声を聞いたことがないと思っていたけれど、こんなに素晴らしい才能があったのか、彼女をこんな風に育て上げたダンナはどんな人物なのだろう。そのダンナに一度だけ、お店で会ったことがあるけれど、今その印象は思い出せない。彼女は子どもたちがそれぞれに後を継いでくれたので、今は好きな山歩きをしていると言っていた。何か映画の話かドラマの話の延長で、「そりゃー、女にだって性欲はあるわよ」と彼女が言ったことを覚えている。40代か50代の女ざかり、色っぽさがプンプン漂っていた。細いうなじがきれいだった。

 わがクラスで一番幸せをつかんだ女性ではないかと思っていたが、幸せや不幸は他人が判断することではないし、「前向きにと思っております」と言い切るところに彼女の強さを見た気がした。同級生が「あの子とやりたい」と言っていたことを思い出す。正直にそう言えば、「お馬鹿さんね。顔洗ってきたほうがいいわよ」と中学の担任の口癖を真似て軽くあしらわれていたことだろう。
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