最近とても涙もろい。そんなことを話していたらカミさんが「何言ってるの。昔からじゃーないの」と言う。結婚したばかりの頃、『コント55号』という萩本欽一と坂上二郎のテレビをよく見た。余りにおかしくって涙が出てしまったことがある。落語も古典落語は人情話が多いから、聞いていると笑いながらも泣けてしまう。
昨日は、名演で『ルームサービス』という芝居を見た。コメディータッチの芝居で、随所で笑わせるのだが、最後になって涙が止まらなくなってしまった。アメリカの芝居だから、難しいテーマがあるわけではない。売れない劇団のプロデューサーがあの手この手で上演にたどり着くまでの、馬鹿馬鹿しいような話に過ぎない。ドタバタの末にやはり最後はハッピーエンドで終わる。
私が泣けてしまったのは、なぜなのかと後から考えた。主人公のプロデューサーはいかさま師と言っても良いくらいに人を騙す。それでもなかなか演劇の上演までに至らない。そこでさらに上演のために、あらゆる人を騙し続ける。こんなにまで騙し続けたのだから、せめて最後には花を咲かせてやってほしいと思うまでになっていた。よく考えれば、プロデューサーの彼が悪というわけではない。善悪で言うなら、ここには悪い奴はいない。プロデューサーを目の敵にしたホテルの重役だって、自分の仕事に忠実なだけだ。仕事に忠実すぎて、人の情けを忘れたかも知れないが、それでもそれで彼を責めることはできないだろう。
みんながそれぞれに自分に忠実に全力を尽くした。一人も手を抜く人はいなかったし、人に責任を押し付けることもなかった。「あれだけ一生懸命にやったのだから、最後に上演できて本当によかった」。そう思ったら泣けてきてしまった。ハッピーエンドだし、コメディーだし、何も泣くまでもないじゃないかと自分でもそう思っていたのに、また涙を流してしまった。一生懸命にやって、報われて本当に良かったと思えたのだ。
「男は泣くものじゃーない」と私の母はよく言っていた。そういう母は涙もろくて、他人事のはずなのに、聞いていた母の方が泣いていることがよくあった。私は、自分は父親に似ていつも冷静に見ている方だと思い込んできた。しかし、歳を取った今となってみると、どうやら母に似て涙もろい性格のようだ。怒ったり、怒鳴ったり、人を危めたり、人を騙したりする性格よりも、母に似て何にでも泣ける性格でよかったと思う。
昨日は、名演で『ルームサービス』という芝居を見た。コメディータッチの芝居で、随所で笑わせるのだが、最後になって涙が止まらなくなってしまった。アメリカの芝居だから、難しいテーマがあるわけではない。売れない劇団のプロデューサーがあの手この手で上演にたどり着くまでの、馬鹿馬鹿しいような話に過ぎない。ドタバタの末にやはり最後はハッピーエンドで終わる。
私が泣けてしまったのは、なぜなのかと後から考えた。主人公のプロデューサーはいかさま師と言っても良いくらいに人を騙す。それでもなかなか演劇の上演までに至らない。そこでさらに上演のために、あらゆる人を騙し続ける。こんなにまで騙し続けたのだから、せめて最後には花を咲かせてやってほしいと思うまでになっていた。よく考えれば、プロデューサーの彼が悪というわけではない。善悪で言うなら、ここには悪い奴はいない。プロデューサーを目の敵にしたホテルの重役だって、自分の仕事に忠実なだけだ。仕事に忠実すぎて、人の情けを忘れたかも知れないが、それでもそれで彼を責めることはできないだろう。
みんながそれぞれに自分に忠実に全力を尽くした。一人も手を抜く人はいなかったし、人に責任を押し付けることもなかった。「あれだけ一生懸命にやったのだから、最後に上演できて本当によかった」。そう思ったら泣けてきてしまった。ハッピーエンドだし、コメディーだし、何も泣くまでもないじゃないかと自分でもそう思っていたのに、また涙を流してしまった。一生懸命にやって、報われて本当に良かったと思えたのだ。
「男は泣くものじゃーない」と私の母はよく言っていた。そういう母は涙もろくて、他人事のはずなのに、聞いていた母の方が泣いていることがよくあった。私は、自分は父親に似ていつも冷静に見ている方だと思い込んできた。しかし、歳を取った今となってみると、どうやら母に似て涙もろい性格のようだ。怒ったり、怒鳴ったり、人を危めたり、人を騙したりする性格よりも、母に似て何にでも泣ける性格でよかったと思う。