私たちの町で女性コーラスグループを指導している中川洋子先生のコンサートに行ってきた。中川先生は教育大学の音楽科で声楽を教えている。とても気さくで温かな先生だ。それでもコーラスの人たちは「厳しく怖い先生よ」と言う。私は中川先生が歌う『道成寺』を聞いて、より熱烈なファンとなった。歌がこんなにも説得力を持つものかと思ったのだ。
今日のコンサートで初めて新川和江さんの詩『可能性』と『母音』を聞いた。『可能性』は次のような詩である。
10まで数えられる子どもの喜びと
10までしか数えられない子どもの悲しみの前で
世界は大きく ひらいたりとじたりする
りんごの木に 無数のりんご
かがやく海に 無数の魚
クローバーの野に 無数の羊
空の深みに 無数の星
地球のうえに 無数のひとびと‥‥
それが 見えたりかくれたりする
なんとなく、希望があるような、それでいてなんとなく、物悲しいような詩に思える。それが、中川先生が歌うと希望しか見えてこない。歌にも性格が表れると思った。中川先生は日本の歌曲をよく歌う。美しい旋律だからというだけでなく、先生が歌うと全てが優しく希望に満ち溢れてくるようになるから不思議だ。
でも待てよと思った。『道成寺』は悲恋の物語だ。ここには恋焦がれる女はいるが、人の優しさや明日への希望などはない。あの時、『道成寺』もこんな歌になるものなのだとひどく感激し、中川先生が清姫をどのように思って歌っていたのかを考えなかった。それでも思い出してみれば、好きな男を追ってどこまでもいく清姫の哀れなほどにひたむきな情念が、その歌声から聞こえてきたような気がする。
今日は母の日だ。コーラスの人たちはほとんどが母である。娘や息子あるいは孫たちも交えて、母への感謝の日を何かで表していることだろう。母もかつてはいやいやまだまだ清姫かも知れなし、「地球のうえに 無数のひとびと‥‥それが 見えたりかくれたりする」と不安と希望がどちらつかずにやってきているのかもしれない。
「お母さん、私は元気です。でもちょっと不安です」
今日のコンサートで初めて新川和江さんの詩『可能性』と『母音』を聞いた。『可能性』は次のような詩である。
10まで数えられる子どもの喜びと
10までしか数えられない子どもの悲しみの前で
世界は大きく ひらいたりとじたりする
りんごの木に 無数のりんご
かがやく海に 無数の魚
クローバーの野に 無数の羊
空の深みに 無数の星
地球のうえに 無数のひとびと‥‥
それが 見えたりかくれたりする
なんとなく、希望があるような、それでいてなんとなく、物悲しいような詩に思える。それが、中川先生が歌うと希望しか見えてこない。歌にも性格が表れると思った。中川先生は日本の歌曲をよく歌う。美しい旋律だからというだけでなく、先生が歌うと全てが優しく希望に満ち溢れてくるようになるから不思議だ。
でも待てよと思った。『道成寺』は悲恋の物語だ。ここには恋焦がれる女はいるが、人の優しさや明日への希望などはない。あの時、『道成寺』もこんな歌になるものなのだとひどく感激し、中川先生が清姫をどのように思って歌っていたのかを考えなかった。それでも思い出してみれば、好きな男を追ってどこまでもいく清姫の哀れなほどにひたむきな情念が、その歌声から聞こえてきたような気がする。
今日は母の日だ。コーラスの人たちはほとんどが母である。娘や息子あるいは孫たちも交えて、母への感謝の日を何かで表していることだろう。母もかつてはいやいやまだまだ清姫かも知れなし、「地球のうえに 無数のひとびと‥‥それが 見えたりかくれたりする」と不安と希望がどちらつかずにやってきているのかもしれない。
「お母さん、私は元気です。でもちょっと不安です」