友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

国民投票法案と若者たち

2007年05月11日 23時57分34秒 | Weblog
 国民投票法案が成立しそうだ。成立したっていいじゃーないのという人も大勢いるだろう。住民投票と同じように考えれば、国民が直接、投票で自らの意思を表明できることはいいことではないかという気がする。しかし、何のための国民投票法案かと言えばハッキリしている。憲法の改正のためである。

 国会では3分の2以上の賛成があれば、憲法改正の法案を承認できる。ところが、国民投票の過半数の賛成を必要とすると憲法は第96条で定めている。この過半数というのは有権者数なのか、投票者数なのか、はたまた有効投票数なのか、憲法の定めはない。そこで当然のことだが与党はできるだけハードルを低くしたいと考えるし、野党側は高くしたい。有権者数の過半数と有効投票数の過半数では雲泥の差がある。近年の首長選挙の投票率は極めて低く、投票率30%台もざらだ。するとその過半数なら15%でよいことになる。有権者数の過半数と比べてみれば一目瞭然だ。

 ところが、多くの人が、何がどう変ろうと自分の知ったことではないと思っている。特に若者たちは政治に冷めている。国民投票法案が成立しそうだというので、国会周辺での抗議デモの様子がテレビで放映されていたが、デモに参加している人の多くが年寄りだ。60年安保や70年安保の時は、若者が抗議の中心だったのにすっかり様変わりしている。フランスはアメリカ型競争社会を標榜するサルコジさんが大統領になるが、それでも政治への抗議の中心は若者たちである。どうして日本の若者たちはこうも冷めているのだろう。私は彼らが私たち以上に成熟しているからだという気がしているが、この予感は当たっているのだろうか。

 今日、電車の中で大勢の高校生に出会った。その中の女の子が友だちに「優先席に座っていたら、車掌が手荷物は棚の上か膝の上においてくださいと言うの。腹が立ったから荷物を足元において身体を横にして、誰も座らせないようにしてやった」と話していた。こんな子どもはやはりぶん殴ってやりたくなる。また、乳児を抱えた女性が乗り込んできたが、その前に座っていた若者はそ知らぬふりでケイタイを動かしていた。すると私と同年代の男性が席を立ち、乳飲み子を抱えた女性の席を譲った。その男性はそのままずいぶん立ったままだったが、ケイタイを操作していた若者はすぐ次の駅で下車していった。すぐに降りるくらいならどうして席を譲ってあげようと思わないのかと、腹が立った。

 日本の教育で一番力を入れようとしているのが「学力の向上」だ。学力がつけば、人に優しくなれるのだろうか。学力がつけば、憲法の問題も正しい判断ができるようになるのだろうか。そんなことを話していたら、「何を言っているの。学力をつけるということは成績をあげるということ。成績を上げるということは他人のことにかまっていられないということなだから、金儲けのためなら何だってすること。そうすることがどうしていけないのかと平気で言う人を育てることが、学力をつける目的なのだ」と、言われてしまった。

 今、日本の国の中で起きているいろいろな「政策」といわれるものは、そこに集中するのかと考えれば、なるほど納得することばかりだ。
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