今朝は、市の住民健康診断を受ける。午前8時40分からの受付グループに指定されていたので30分に会場に入った。すでに何人もの人が、受付が開始されるのを待っていた。検診が始まる。胃のレントゲンが済むと「下剤です」と薬をくれる。一通り検査を終え、下剤を飲もうと洗面所にいくと知り合いの男性がいた。ちょっと世間話をして薬を飲もうとすると、その男性が「薬は何か食べた後のほうがいいのではないですか」と言う。これまでは検査が終わればすぐに下剤を飲み、しばらくするとトイレに行き、バリウムを排出するパターンだった。そこで、そうか今日はこれから国際交流マインドの機関誌の印刷と発行の手伝いがある。今、薬を飲めば作業の途中でトイレに行きたくなるかもしれない。やはり言われたように昼食の後にしようと、薬を飲むことを止めた。
家で昼食をとり、薬を飲む。しばらくしたらトイレに行きたくなった。これでもう済んだと思った。図書館に行き、ベトナム人の若者に日本語を教えるために役に立ちそうな本を探す。知り合いの女性職員にそのことを話すと、すぐにいろいろな本を持ってきてくれた。よく勉強していると感心する。出してもらった本の中からこれなら役立ちそうだと思われたものを3冊借りる。ベトナム人が働いている会社に行く。この会社では二人で7人のベトナムの若者に日本語を教えているが、全員が揃うことは稀だ。会社は忙しく、ベトナム人の「主張」も多い。
日本語がわからない外国人に日本語を教えることの難しさを感じながら、試行錯誤が続いている。同じ発音でも意味が違うものがある。平仮名だけで書いてしまうと、どう読むかで全く意味が違うことを、例を挙げて説明する。その時だ。お腹の中心で激痛が走った。それまで脇腹の辺りが突っ張るような気がしていたが、それが突然ズッキとなったからビックリした。耐えていると次第に下腹へと痛みが伝わっていく。しまった。下剤が効いてきた。まだ授業を終了するまでに40分もある。相棒に任せて帰るか、いや彼女一人ではやりきれないだろう。席をはずして会社のトイレを借りるか、いや会社のトイレが洋式とは限らない。足が曲がらない私は洋式トイレでなければ用が足せない。
もう少しなら我慢できるだろう。そう思いながら、授業をこなす。そうしているうちになんとなく落ち着いてきた。神様は私に恥をかかせずにおいてくださった。授業を終え、家に帰ろうと車に乗り込む。すると再びお腹がグッグーと動き出した。いかん。我慢も限界なのかもしれない。一刻も早く家に帰りたい。こんな時に限って、前の車がノタノタとする。ガマン、ガマンと未熟な運転を許す。その車がやっと左折してくれた。これで大丈夫と思ったら踏み切りで遮断機が降り始めた。万事休すか。この踏み切りは長い時は10分も止められる。再び、神様は私を見捨てるのかと心の中で叫ぶ。すぐに遮断機が上がる。
家に飛び込んで、もちろんトイレに駆け込んだ。用が済んでしまうとウソのように何事もない。どうなることかと冷や汗が流れるところだった。その時テレビから拳銃を持った男の立てこもり事件が聞こえてくる。この男に下剤をプレゼントしてやろうかと思った。でもこんな風に人生の終わりが来るかと思うとちょっと噴出してしまう。こんなことを考えるのは不謹慎なのかな?
家で昼食をとり、薬を飲む。しばらくしたらトイレに行きたくなった。これでもう済んだと思った。図書館に行き、ベトナム人の若者に日本語を教えるために役に立ちそうな本を探す。知り合いの女性職員にそのことを話すと、すぐにいろいろな本を持ってきてくれた。よく勉強していると感心する。出してもらった本の中からこれなら役立ちそうだと思われたものを3冊借りる。ベトナム人が働いている会社に行く。この会社では二人で7人のベトナムの若者に日本語を教えているが、全員が揃うことは稀だ。会社は忙しく、ベトナム人の「主張」も多い。
日本語がわからない外国人に日本語を教えることの難しさを感じながら、試行錯誤が続いている。同じ発音でも意味が違うものがある。平仮名だけで書いてしまうと、どう読むかで全く意味が違うことを、例を挙げて説明する。その時だ。お腹の中心で激痛が走った。それまで脇腹の辺りが突っ張るような気がしていたが、それが突然ズッキとなったからビックリした。耐えていると次第に下腹へと痛みが伝わっていく。しまった。下剤が効いてきた。まだ授業を終了するまでに40分もある。相棒に任せて帰るか、いや彼女一人ではやりきれないだろう。席をはずして会社のトイレを借りるか、いや会社のトイレが洋式とは限らない。足が曲がらない私は洋式トイレでなければ用が足せない。
もう少しなら我慢できるだろう。そう思いながら、授業をこなす。そうしているうちになんとなく落ち着いてきた。神様は私に恥をかかせずにおいてくださった。授業を終え、家に帰ろうと車に乗り込む。すると再びお腹がグッグーと動き出した。いかん。我慢も限界なのかもしれない。一刻も早く家に帰りたい。こんな時に限って、前の車がノタノタとする。ガマン、ガマンと未熟な運転を許す。その車がやっと左折してくれた。これで大丈夫と思ったら踏み切りで遮断機が降り始めた。万事休すか。この踏み切りは長い時は10分も止められる。再び、神様は私を見捨てるのかと心の中で叫ぶ。すぐに遮断機が上がる。
家に飛び込んで、もちろんトイレに駆け込んだ。用が済んでしまうとウソのように何事もない。どうなることかと冷や汗が流れるところだった。その時テレビから拳銃を持った男の立てこもり事件が聞こえてくる。この男に下剤をプレゼントしてやろうかと思った。でもこんな風に人生の終わりが来るかと思うとちょっと噴出してしまう。こんなことを考えるのは不謹慎なのかな?