友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

まっすぐに生きている人

2007年05月04日 23時44分49秒 | Weblog
 金曜日は毎週、デイサービスでお手伝いをしている。
 今日初めて出合った女性は大正9年生まれだった。亡くなったカミさんのお母さんよりも4つも上の方だ。名古屋生まれの名古屋育ちと言うが、元気なだけでなくとてもしっかりしているし、何よりも印象的だったのは仕草だがャーミングなことだ。どこのデイサービスにいっても利用者の人たちは彼女より若い人が多いそうだ。そこで彼女は「若い人に負けないように頑張ろうと思っているの」と言う。あの若々しさはその努力の賜物なのだと理解できた。

 彼女よりも少し若いが、同じ利用者の中に「うちのお父さんはとてもいい人なの。世の中にあんなにいい人はいない。今度生まれ変わってもうちのお父さんと結婚したい」と言った女性がいる。すごい人だと思った。長い人生を共に歩いてくると、そこまで言い切れる人はいないと思う。人の欠点はよく見えても、素晴らしさや生き様を素直に評価し受け入れることはなかなかできるものではない。

 いつだったか、NHKテレビで「のど自慢大会」を見ていた時、90歳と80歳のご夫婦が出場した。鐘こそたいしたことはなかったが、司会者とのやりよりの中で、90歳のお父さんは「本物の夫婦になれた」と語っていたことを思い出した。お父さんは若い時はかなりお母さんを泣かせたようだ。お母さん自身が全国放送なのでお父さんに過去のことを認めさせたいと言っていたのだから、そのとおりなのだろう。お母さんの執念もすごいけれど、そのお母さんの言い分を素直に認め、「今は本物の夫婦になった」と言えるお父さんはもっとすごいと思った。

 いくつになっても、まっすぐに生きている人はいる。人は個人の時は素直になれるのに、集団となるとどうして平気で偽りをしてしまうのだろうか。話が飛んでしまうが、昨日の日本国憲法の件でもそうだ。敗戦を迎えた日本の指導者は「次」のことを考えていた。それは日本の歴史の中では当たり前のことだった。戦争に負けても「次」の備えがあればいい。そこで利用してきたのが天皇制だ。奈良時代以来、天皇はいつも為政者に利用されてきた。敗戦時の指導者たちも、その形はどうであれ、天皇制を残すことだけに全力を尽くした。主権在民もしたがって象徴天皇も戦争の放棄も受け入れた。この新憲法を現在の自民党に至る人々は賛成し、共産党は反対した。それが、60年を経て自民党は憲法を改正せよと主張し、共産党は護憲だと主張する。

 人は生きていく間にはいろいろと変化する。変化することを非難する気はないが、変化する側は、少なくとも政治の世界では、キチンと説明できなければならないし、それに対して論戦を挑まれればどこまでも答えなくてはならない。それは政治にかかわる人の使命だと思う。
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