みのハイキングクラブ

友と山に登り、自然に親しみ、心身を健やかに、親睦を深めます。

モンブラン挑戦・モンブラン・マッタ―ホルン展望ハイキング

2019-07-18 | 準山行

準クラブ報告 

記録 澤田Zさんより

 2019年6月に入った段階で、ぼくのモンブラン登頂には、ぼくなりに三つの関門があると考えていました。それは、
第一に 小屋の予約が取れるかどうか
第二に 山の気象条件
第三に 自分の体力度    というものでした。   
第一の関門に関しては、当初三泊四日で計画し、予約作戦に入ってもらっていたのですが、結局とれたのは、渡欧直後の6月24日で、上部のグーテ小屋一泊のみ、これもとれたのは幸運だったといえばそうなのだけど、でも五合目辺りにあるテト・ルース小屋で登りに一泊、山頂から降りてきてもう一泊ができないということが確定したというわけでした。
 それに加えて、えらいニュースが飛び込んできました。シャモニ市長の通達が出ていて、今年は降雪が多かったため、登山電車の運行をベルビュー(私たちの乗車駅)から二・デ・エーグル(終点で登山口2372m)まで、6月いっぱい停止すると小屋の予約者に知らされていたのでした。電車の運行時間は片道で20分間です。
 
頑丈な歯車を噛んで登る登山電車は、山の上なので、ラッセル車が入るなどはもちろんあり得ないからです。
 また、小屋の予約の難しさでも、ニュースが飛び込んできました。この山は、世界中の登山家があこがれる山の一つなので、予約を取るのは宝くじを当てるような感じになってきているようです。下の小屋で600人とか、上の小屋では900人とかの順番待ちがある・・・などの情報も伝わってきていました。
 ぼくたちにとっては、”さあどうする? それでも行くのか、止めるのか!”という決断を、特にぼくに、突きつけられている思いでした。
  ところが! こんどは朗報がもたらされた。621日、22日は雨模様で、山では雪に違いなかったのですが、23日早朝から大きな高気圧に覆われることとなり、これはその後10日間もの間快晴が続くことになったのです。そして、その気象条件によって登山電車の運行も始まるとなったのでした。バンザーイ! 世の中捨てたものじゃない! というわけでした。よっしゃ、そんならいけるな! 頑張りましょう・・・です。
 23日、予報通りの快晴の中、高度順応のためにエギ-ユ・ド・ミディ(標高3.842)にロープウェイで上がり、雪上トレーニングとゆったり時間をかけた順応行動をしました。そして迎えた24日です。ロープウェイ、登山電車を乗り継いで、登山口の二・デ・エーグルに到着しました。
 いよいよ登山開始、今日はまずグーテ小屋までの登りだ、標高差は2031m。例年だとこの辺り無雪なのに、今年は雪がある。やがて傾斜も強くなり雪の壁になってくる。とくにぼくにとっては体力的に厳しい状況になってくるけど、なにくそ! やってやるぞ!という緊張と覚悟で、みなさんに遅れまいとして三人で登高しているときでした。
 好天になったため雪の表面が柔らかくなり、人の足跡も深くなったりしているところがあり、その下には氷があって、結構登りにくい状況ではありました。
 そのうち三人の中の一人が、右足を深みにとられ、その場所の下の氷の状況もあって、グキッと足がひねる! という事態が生じてしまいました。もし、大なり小なりの靭帯損傷でもあったりしたら大変なことです。その方は少し歩いてみたり、登ってみたりで様子を見、状況判断をしておられましたが、これを無理して登っていけば、降りることができなくなる可能性もあるという事態の認識となり、登山を中止して下山することに決めたのでした。
 ぼくたちは三人で登山をするにあって、誰か一人でも不調者がでたら、そこで中止して下山するという申し合わせをしていました。これは当然のことです。不調者が出る可能性といえば、年齢や体力からいってそれはまずぼくなのですが、だからそれはぼくを守って下さるヒューマニズムの合意だったと理解していました。引き返した場所の標高は2850m で、五合目の小屋の直下でした。
 ぼくは岩登りに
 ハイキンググループがシャモニへ到着するまでには、まだ一週間ある。モンブランでの疲れを休めた後、ぼくはシャモニ在住で、フランスのガイド資格を持っておられる白野氏に依頼し、なにかやりがいのある登山を! と宮下さんに頼んでもらいました。そして初めてのブレバン岩稜登攀を計画していただき、27日の朝出かけましたが、ゴンドラ乗り場へ行くと、電気系統の故障ということで1時間待っても見通しが立たず、白野氏は「しょうがないね、方向を変えましょう! 」ということで、シャモニを挟んで反対側の、メールドグラス氷河末端にあるヴァコルダの岩稜を紹介して下さいました。
 取り付き点の標高は約1.000mで終了点は1.615m。氷河に削られた岩肌のため、スタンス・ホールドが極めて小さくつるつるで、グレード4だといわれました。白野さんに確保していただいて懸命にぼくは登りましたが、2度、小さくスリップしました。他に、若い強そうなパーティーが4組ほど前後して登っていました。長く岩登りをしていなかったのできつかったけれど、ぼくの心は癒やされました。アパートへの帰着は夕方でした。


 

 ※ ぼく以外の三人がアルプス三大北壁完登者、右端はトライアスロン世界チャンピオン



2019年6月29日(土)~7月10日(水) 12日間  参加者 12名

CL 中島Mさん

 山あいの小さな村にすぎなかったシャモニーが注目を集めるようになったのは、1786年8月、漁師ジャック・パルムと医師のミッシェル・パカールの二人がモンブランの登頂に成功したことによる。

ロープウエー終点のエギーュ・ド・ミディからのシャモニー針峰群

 そんなシャモニーは山が好きな人であふれていた。エギーユ・ド・ミディはロープウエーを乗り継いで、あっと言う間に富士山より高い所に行けてしまう。夏でも周囲は一面の雪景色。シャモニー針峰群、主峰モンブラン等を眺望し、中間点まで下り、お花畑の中を下っていく。グランドジョラス北壁を前にして、宮下さんの話を聞く。

ロープウエ ー中間点から、モンブラン、シャモニー針峰群を眺めながらのトレッキング

ヨーロッパアルプス三大北壁、アイガー・グランドジョラス・マッターホルンの思い出。氷河を前にして、50年前、33年前との変化。地球の温暖化、雪が降らなくなってきた、クレバスがなくなってきた・・。氷河の水は白く濁り勢いよく流れていた。誰かが「宮ノ浦みたい」と言っていた。

                          モンブランマラソンの選手たち

 マッターホルンはモンブランと比べて形が分かりやすい。ツェルマットに4泊したがどこへ行ってもよく見えた。モンテローザのほうが標高4634mで、4478mのマッターホルンより高いが、スフィンクスやピラミッドに例えられるマッターホルンの姿に引きつけられる。「魔の山」と恐れられ登頂は難しそうだが、初登頂を成し遂げたのはイギリス人登山家のエドワード・ウィスパー卿。1865年7月、8度目の挑戦での快挙だった。しかし、下山中に事故が起こり、7人中4人が谷底に落ちて悲劇の終末を迎えてしまった。
 山の厳しさを感じながら、沢山の花に出会うことができた。アルプスの三大名花、エーデルワイス、アルペンローゼ、ゲンチアナを始め、日本の山でも見かける花によく似た花々を見ることができた。そして、最後に出会ったのは宮下さんの秘密の場所にひっそり咲く、絶滅危惧種の百合の一種、リリュウムマルタゴンでした。ロープウエイが止まってしまった時には、下方にマーモットを見ることができた。

                 マッターホルンを映す、シュテリゼー湖
 12人の仲間と12日間も一緒にいて、お互いの事を知り、山の話をしてより親しくなれた。私の人生の大きな宝物になり、もっと色々な山に登りたい、山の仲間を増やしたい、また次回もこんな山旅をしたいと感じた。ヘリコプターから見たマッターホルンの登山道でも一部なら歩けそうだった。
                            (記録担当 後藤 Kさんの報告より)

コースタイム

(29日)
JR名古屋駅16:45=新幹線こだま661号₌新大阪17:53・・はるか49号=関西空港19:24
※当初の予定はこの後23:45発エミレーツ航空にて空路ドバイへ。
しかし、油圧系トラブルにより滑走路が閉鎖され欠航。大阪泊。
(G20の影響でホテルの空きがなくWベッドに2人で寝る。)

(30日)
「9時頃発ドバイ行き」に搭乗の予定が、1日8時頃発に変更になったため急遽成田発に変更。東京へ。
新大阪15:46=品川18:12着、18:20発(8分の乗り換え時間)=成田19:34着=22:00
成田発ドバイ行きに搭乗

(1日)
ドバイ4:30着(日本との時差5時間。実際には、約10時間乗る。)
ドバイ発8:30=ジュネーヴ(スイス)13:20着(約6時間45分) 時差2時間

(2日)
ジュネーヴ14:15発=バス=シャモニー(フランス)15:45着。
シャモニー発7:45=無料バス=レ・トゥール(1453m)・・シャラミオン(1910m)・・バルムのコム(1990m)・・レ・トゥール(1453m)・・ジャモニー(1036m)・・有志10名でブレバンへ(2525m)・・ロープウエー・・シャモニー(16:40頃)

(3日)
シャモニー発(7:30)シニャル・フォーブハイキング・・ロープウエー8:25・・ブラン・デ・エギーユ  (2317m)中間駅 ・・エギーユ・ド・ミディ(3842m)・・プラン・デ・エギーユ(2317m)
※  右手上方にシャモニー針峰群、主峰モンブランを後方にトラバース シニャルフォーブ(2191m)
※  お花畑の登山道を登り切るとドリュ針峰、眼下にメールドグラス氷河、正面にグランドジョラス北壁を望む。昼食。   モンタンブェール(1913m)・・登山列車=シャモニー(16:00頃)

(4日)
シャモニー発(8:30)=専用バス=バロシン(国境)※両替しスイスヘ
マルティーニ(白ワイン用の葡萄畑やシオン城等を見ながら)=ビスプ=ティシュ(11:30)
※ツェルマット(1620m)は自動車の乗り入れが禁止のため電車に乗り換え=ツェルマット着(12:00)各自昼食・・ログの建物や山岳博物館等の見学・買い物

(5日)
ツェルマット発(8:15)・・ロープウエー・・フーリ※ここに着く前にロープウエーが止まり、45分間動かない。ベルトの故障?当初の予定は、次のロープウエーに乗り継ぐ予定だったが、ここから歩く。・・スタッフェルアルプ(2139m。山小屋有り。昼食)・・チーズ小屋・・ツムットバッハダム・・ツムット・・ツェルマット(16:00頃)

(6日)
ツェルマット発(8:15)エーデルワイストレイルハイキング
地下ケーブルカー・・スネガ(2288m)・・マッターホルン眺望後ロープウエーでブラウドヘルドヘ・・フリューアルプヘ向かってエーデルワイストレイルハイキング。マッターホルンを映す湖シュテリゼーを通過。
樹間の小さな湖グリンジゼーへと下る。・・湖ライゼー・・スネガ・・ケーブルカー・・ツェルマット着15:30

(7日)
ツェルマット発(7:50)・・救助隊ヘリコプターによるマッターホルン周回。ヘリフライト(5人ずつ2回に分けて)・・ケーブルカー・・スネガ(フラワートレイルハイキング)・・山小屋にて昼食・・ツェルマット(16:00頃)

(8日)
ツェルマット発(8:13)私鉄=ブリーク国鉄(9:37)=ベルン(10:54)=市バス=ローズガーデン(昼食)=ベルン発(15:32)=鉄道=チューリッヒ空港駅(16:42)チューリッヒ空港泊

(9日)
ホテル発9:45=バス・・チューリッヒ空港(買い物、昼食)=チューリッヒ空港発(15:25)エミレーツ航空にて空路ドバイヘ(6時間20分)=ドバイ着(23:45)

(10日)
ドバイ発(3:00)関西空港着(17:15)9時間15分=バス19:35発・・名古屋(22:20頃) 解散



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