みのハイキングクラブ

友と山に登り、自然に親しみ、心身を健やかに、親睦を深めます。

第6回おれんじの会 馬籠宿~妻籠宿 歴史散策

2018-07-20 | 散策

 

おれんじの会報告

2018年7月18日(水)   天候晴れ   参加人数 19名

  
   

          

  

CL堀越さん
 今年の当地の梅雨明けは例年より早く7/9で以降猛暑が続いていた。開催日の18日も東日本の内陸や近畿を中心に気温が上がり、最高気温は岐阜県多治見市40.7℃、美濃市40.6℃と、国内で5年ぶり、7月としては14年ぶりに40℃以上を観測した。
 連日の猛暑で報道は「命に関わる危険な暑さ」と報じていたので、運営担当古谷さんのご配慮で馬籠から女滝・男滝までの馬籠峠越えのウォーキングはカットしてバス移動に変更と発表がありヤレヤレ。美濃加茂HOで4名が合流し恵那峡SAでの休憩を経て馬籠館脇の駐車場に到着。ガイドさん合流前に原さんの指導でストレッチを終えた。
 ガイドの大蝶さんと合流後、木曽五木の説明から始まり道々馬籠の歴史を聞きながら石畳の道を登って行く。
 馬籠宿は木曽11宿の最南端、美濃との国境にある宿場町。中山道が急な山の尾根を通っていることから、全国でも珍しい「坂に開けた宿場」である。水利が悪く吹き上げる風が強い事からしばし大火に見舞われ、1895年(明治28年)と1915年(大正4年)の大火によって江戸時代の民家はことごとく焼失した。1882年(明治25年)中山道に変わって木曽川沿いに国道が開設され、さらに1912年(明治45年)国鉄中央線が全線開通したことにより、馬籠、妻籠は全く人通りが絶え、両村は陸の孤島化し、村の経済は急速に寂れていった。長い間の貧困生活のなかで、外部からの刺激もないまま江戸時代そのままの生活を続けてきた両村が、観光地として脚光を浴びだしたのは日本が高度経済成長期に入った頃からで、島崎藤村顕彰ための藤村堂が昭和22年村人の勤労奉仕で設置され昭和27年に藤村記念館が完成、藤村の生地として藤村記念館を訪れる人が飛躍的に増加するようになった。観光客が増加すれば当然これを受け入れるための、宿泊施設や食堂、土産店が出現し地域が活気を呈してきた。このため1967年(昭和42年)馬籠観光協会が発足し組織的な活動を開始するようになり、以降景観整備に務めて今日の町並みが復元されたらしい。
 藤村記念館を過ぎると町並みは閑散として来る。県道を横切った高札場を眺めその上に恵那山を眺められる広く開けたビューポイントの馬籠陣馬上展望広場があった。高温のため霞がかっていたものの恵那山は雄大であった。数々の碑の説明を受け藤村記念館に戻りガイドさんとお別れ。記念館に入ると土壁の血につながるふるさと 心につながるふるさと 言葉につながるふるさと』と記された金属板が目に飛び込む。これは1928年に藤村が地元の神坂小学校で行った講演の際の言葉だそうで、藤村の郷土愛が伺えるなんとも美しい言葉である。記念館に入場し藤村ゆかりの品々を拝観した。入口通路に掲げられたまだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき・・・』有名な初恋の詩に10代の若き日に訪れた時を思い出した。記念館は火災で残った隠居所以外昔日の面影は無いが馬籠宿元本陣で小説「夜明け前」の舞台でもある。見学を終え記念館前で集合写真を撮り、三々五々買い物をしたり店へ寄りながら駐車場へ戻った。
 馬籠峠越えの予定歩行をカットしてもらえたので、冷房バスで県道中津川南木曽線を走り楽々と男滝女滝の看板広場に着いた。以前有った滝見茶屋は近年壊されたらしく残骸が残されていた。此処から急坂を少しジグサグ下ると右手に女滝、左手は男埵山を源流とする男滝である。緑と涼風に恵まれた滝前の広場に散らばって至福のランチタイムを過ごした。滝近くの看板に吉川英治の小説宮本武蔵の舞台とあったので帰宅後ネットで調べてから、久々に埃をかぶっていた蔵書を拡げたら風の巻「女滝男滝」の章に記され、同行していたお通さんとの愛に武蔵が苦悩する舞台であった。ちょっとだけ紹介を……滝の音を心当てに、細道を分け入ってゆくと、滝つぼの崖の上には、人もいない滝見小屋があり、辺りには、霧に濡れた草の花が一面に咲き乱れていた。「……武蔵様」お通は立て札を見て、その目を武蔵に移してほほえんだ。女男 (めおと) の滝とそれは読まれた。』
 食後は妻籠までの3㎞余の歩行開始。戦国期の悲劇倉科祖先霊社を横目に進むと夏雲の下に南木曽岳が聳えていた。下り谷一里塚、大妻籠庚申碑を経由して大妻籠へ。行き交うハイカーはほとんど外人さんばかりに驚く。海外からの観光客の増加を身近に感じた。大妻橋での休憩時には古谷さんが重いザックで運ばれた冷たいカット西瓜を馳走になり生き返った。
 妻籠宿の北には伊勢神宮へ木材を収めた事から名付けられた伊勢山が大きく聳えていた。妻籠宿第3駐車場で案内人の野田さんと合流。妻籠宿は前述した馬籠宿同様衰退の村であったが、1965年(昭和40年)に観光開発として集落保存が提起され昭和43年に妻籠保存事業が開始された。ガイドさんによる「みんなが平等に貧しく古い町が残っていたので良かった。」との言葉が印象に残った。「売らない、貸さない、壊さない」の信条に基づき解体復元、修理を重ね修景を実施したそうで、宿は昔の景観を蘇らせて昭和51年に国の伝統的建造物保存地区に選定された。街中の案内を受けながら平成7年に復元された本陣へ入場。その後に脇本陣奥谷と歴史資料館を見学した。脇本陣は馬籠宿本陣・島崎家の隣家である大黒屋の「おゆふさん」(初恋のモデルとされているが)の嫁ぎ先であり、後年藤村 との交流もあったそうで二人はどんな気持ちだったろうかとの思いが湧いた。資料館前で記念写真を撮り高札場の説明でガイドさんとお別れし妻籠宿第1駐車場へ向かった。駐車場で着替えなどの休憩後バスに乗り込み、国道の妻籠入口信号付近の温度計は38℃を示していて、関や美濃の暑さを想像しつつ帰途についた。
 今回はほんの一部を歩いただけだが、旧中山道は文化庁の「歴史の道百選」に入っている。個人的には季節を変えて何度も歩いた道であるが、両宿場でのガイドは初めて聞いたので勉強になり参加した価値が有った。歩いたのは僅かな距離と思っていたら宿場の散策もあり、Nさんの万歩計は14806歩を示したそうだ。暑かったせいか宿場巡りよりも女滝・男滝が印象に残ったとの声が車中では多かった。
 運営のお世話を願った古谷さん、会計さん、参加のみなさんありがとうございました。
               (記録担当 水野さんの報告より)

 コースタイム
関6:55==美濃加茂HO7:20==恵那峡SA8:00 8:10==馬籠館P8:40 8:52・・枡形9:10・・観光案内所9:27・・高札場9:49・・馬籠宿展望台9:52 10:04・・藤村記念館10:11 10:40・・馬籠館P11:30==男埵滝バス停11:40・・女滝・男滝11:45 12:25・・大妻籠12:55・・大妻橋13:00 13:15・・妻籠宿第3P13:20 13:30・・妻籠宿本陣14:10・・妻籠宿脇本陣・資料館14:27 15:00・・高札場15:08・・妻籠宿第1P15:10 15:27==中津川IC15:58==恵那峡SA16:04 16:37==美濃加茂HO17:17==関17:50


        

                   (写真提供 古谷さん)

     

     

                           (地図提供 古谷さん) 

 

 

 

 

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阿木川沢登り

2018-07-05 | 自主山行

 

自主山行報告

2018年6月30日(日)   天候 曇り時々晴れ、時々小雨   参加人数 4名

 

CL 木村さん
 前日に激しい雨が降りましたが、水かさはほどほどで濁りの無いきれいな川でした。沢登りは初めてでしたが、滝谷の大きな石などの自然が作り出した景観には感動しました。途中、コース取りに困るところがありましたが、そこを乗り越えると感動しました。いろいろな沢に行ってみたいです。お疲れ様でした。
                                                  (記録担当 五十川さんの報告より)

コースタイム
風神神社8:25・・・林道の端の下を潜る8;51・・・1回目の堰堤(5mぐらいの滝)9:08・・・7mぐらいの滝9:45・・・2回目の堰堤10:50・・・食11:30~12:30・・・3回目の堰堤15:20・・・林道に上がる・・・風神神社16:20

 

               

                                                             (写真提供 木村さんより)

 

 

                            (地図提供 木村さんより)           

                                           

 

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